今日は午後から、清里いばしょベースCha-yaで行われた会に参加させていただきました。
先週にあった直江津『学び合い』の会で誘っていただき、行くことに。
といっても、もう何度もお話しさせていただいたことがある方ばかり。
こうやって、いろんな縁で毎週の予定が埋まって、また自分の学びを深められるところがあることに感謝ですね。
多様な学びを学ぶ、というよりも、参加者で多様な学びのあり方や、企業のサービスを公教育や学校現場にどう広げていくか、共に作っていけるかという視点について話し合う時間が多かった気がします。
自分も教員になって三ヶ月。
今までは何も知らない、たくさん学びにきた大学生という立場でいたわけですが、最近は、一教員として、学校現場の肌感や意見を聞かれる。
そして、自分もそれに対して自分の考えを伝えることができるだけ、現場について少しずつ見えてきている部分がある、ということを再確認しました。
さて、多様な学びについて、教員として思うことがいろいろあって、それを書いていきましょうか。
多様な学び、とは少し離れるかもしれませんが、今回話題として上がったのは学校に行かない選択をとった、行けなくなってしまったという場合に、フリースクールなどにつながっていくというもの。
いろんな選択肢が子供達や保護者の方にあるわけですが、それにどこまで気づくことができるか、情報が提供されているか。
また、子供たち自身も相談相手として、学校か、保護者か、という二択になってしまいやすい。そこにどう対応していけるか、ということも。
とにかく、子供たちが安心に暮らせたり、安心して自分の考えや意見を伝えること、表明することができる場所が増えればいいなと感じます。
そういうことを考えると、今の学校現場はどうかな?と。
スクールカウンセラーの方が来校されるので、そこに相談するのも良い。
ただ、やはり教員が第一で相談相手になるはずなのですが、そこの関係性や信頼感がないと相談することに対してのハードルが上がる。
そういうことを話していて、チーム担任制の魅力も感じます。
結局、人によって合う合わないがあるので、いろんな先生で対応していくというか。
担任はいるけれど、全て担任に任せるわけではなく。子供達も全て教員といったら担任、という感じではなく、他の学級の担任や別の支援員さんなどに話しやすい環境を作っていきたいなと感じました。
多様な学び、という話で、多様な学びを保障していくためには、安心安全の環境が必要である、ということも感じました。
個々人が多様な学びに向かうことを保障してくれる環境、互いにプラスとして働き合う関係性、何かあった時に戻ってこれる居場所。
そういうものがしっかり保障されている状態でこそ、多様が生まれるように思います。
そうすると、現在の「学区制」も本当に多様な学びを保障しているのか?という話題も。
色々な話題が出た後として、自分が今回の学びを振り返った時に言えること。
「多様な学び」ということを考えるときに。
『多様』という言葉に惹かれがちですが、むしろ『学び』の方に着目したい。
多様な学びというと、学ぶ場所や学ぶ方法、学ぶ内容というところで多様さを出していると思うのですが。
そもそもこの多様な学びの『学び』の認識が、単なる教科学習になっていないか?というところは考えたいなと。
文部科学省などが、どういう認識で多様な学びの話をしているのかあまりまだ調べていないので不確定ですが、この『学び』が教科学習のこととして縛られていると、面白くないなと思っていますのです。
今まで見てきたフリースクールなどは、この『学び』というものの捉え方が非常に広かったなと思います。
それこそ、単なる学習ではなく、学び。体験、経験、などです。
そういうふうに捉えるとすると、学校教育における「多様な学び」のあり方ってなんだろう?と感じてしまいます。
やり方は多様になるけれど、学びの定義が広がっていかない、そんな感じ。
『』などをしていると、学び方はすごく多様になるんだけれど、学びの内容が多様になる、というのはカリキュラム上なかなか難しさを感じています。
教科学習というカリキュラムの中で、どう実現していくか。
もしくは、カリキュラム外の教育活動において何かしら実現していくのか。
いろいろ、考えてみたいなと思いました。