今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

2025/2/2 魚沼『学び合い』の会

今日は、朝早起きをしてちょこっと遠出。

魚沼『学び合い』の会に初参加してきました!

空き家をリフォームした場所で、10人ほどで輪になってお話しする。

メンバーの方々は、教員の方から元教員の方、保護者の方々や地域で活動されている方々など多種多様。そんなメンバーで、学校教育や社会、地域について一緒に考えていくそんな会でした。

 

<話題>

今回の会では、

不登校支援

・新たな学び、多様化、N高、フリースクール

・外部人材、地域連携

 

その辺が、フリートークの時間でぐるぐる入り混じっていくという感じで進んでいきました。

 

<自己紹介>

本当に多様な方々が参加されていて。

教員の方はもちろん、元教員の方や増田さんの学級だった生徒の保護者の方、子どものボランティア関係の方など本当に多様。

でもやっぱり、増田さんと繋がることでこういった会に参加して、よりつながりを深めて行っているようにも思います。

 

近隣の市から来られている方もたくさんいたのですが、同じ人、同じ場所など共通の話題で非常に盛り上がる、

 

私も、自分のいる市の外に一歩踏み出せば、全く違う景色、違う雰囲気が待っています。

知らない話もたくさんありました。

 

けど、素敵だなと思うのは。

こういった少人数の、でも休みの日に。

みんなで談笑しながらも、子供中心に教育のことや地域のことを赤裸々に語れるのが良い。

もっと面白いのは、そこに教師がいることです。

 

本来、教師は言ってはいけない制限もきっとたくさんある。

保護者の方も、言いたいこと、疑問に思うことなどたくさんある。

 

それを直接話すかは置いておいて、場を共有して、コミュニケーションが取れるというのが良いと思うのです。

 

魚沼周りの、超マニアックな話題が多かったですが、それでも参加者の方々の雰囲気や、そう言った場の必要性についてより考えることができたなと思っています。

 

不登校支援>

学びの多様化学校っていうのができるけれど、実態は?という話に。

 

学びの多様化学校というけれど、不登校特例校なんて言われていた時もあって。

そこに通っている児童生徒を、周りのよくわからない大人たちがどう思うかが心配である、という話に。

 

確かに、教員になる身として、学びの多様化学校の中身ばかりを考えていたけれど、教員ではない人たちがどうみるのか、というところは新しい視点でした。

 

あまりよくない評価を持つ人もいるかもしれない、という話に。

 

確かに、難しいなと思います。

実際に通う学校があって、人と関われるのは魅力的ですが、それを他の人に言いにくい、というようなのはなってほしくないし。

そういう面を考慮すると通信制が良くなるけれど、それだとリアルでの人との関わりに乏しい、とも思う。

 

やっぱり、周りの方々の意識改革が大切だなと。

それも、今の保護者世代だけでなく、その方々の保護者世代も全て含めて、です。

 

そうすると、単純に保護者説明会だけではうまくいかないので、広報の仕方を考えたり、いろんな手段で良い場所だってことを認識してもらう必要がある。

 

横文字だったら良いのでは?なんていう案もあって、面白かった。

 

 

要は、そこに通う子供たちが楽しい!というだけでなく、その周りの方々の納得、特に大人の納得がいる、というところは、よく考えるべきところだなと思いました。

 

 

ただ、通う子供たちとその保護者の方が良くて、そこで貫いていける、という状態ならば全く問題ないとも。

 

となると、そう言った学校内での保護者集団、子供集団がしっかりつながっていくこと、そこで満たされた状態になることも大切だなと思います。

 

<価値観の話>

学校には来るべきである、という感覚。

それは今学校に通っていない大人が持っている感覚、の多くの部分だと思っています。

自分がそうしてきたこと、考えてきたことの枠の中でしか考えることはできない。

 

自分は、結構学校を休むこともありました。

友達とは遊んだりしたいけれど、授業でわかる話をずっと座って聞くことは退屈だし、縛られるのもあまり好きではない。だから、『学び合い』みたいなのがあったらめっちゃ楽しんで学校に行っていたように思いますが。

 

結局、そう言った意識を教員もどこまで持てるのか。

また、親がどこまで持てるのか。

 

そう言った意識、価値観の話もたくさん絡んでくる話題だなと思います。

 

そういう点で、学校の研修のシステムはよくわかりませんが、フリースクールなどの見学なども入れればいいのにな、と思ったり。喜んでいきます。

 

こう言った価値観の問題は、子供を中心に、家庭の中で起こったりします。

親子、夫婦、世代で。

 

子供の不登校の原因で親が離婚してしまう、というケースもあったり。

それこそ、子供が一番辛いはずです。

 

学校だけでなく、福祉なども絡んでくる話。

やっぱり、学校だけで教育はできない。いろんな地域、企業で参画して、みんなで一緒に子供のことを、将来の社会を考えていけるようになっていければなと思います。

 

 

<学校に入れるシステム>

保護者の方や企業の方が学校内に入ってこられるシステムは、面白なと思っています。

防犯上の危険があるため、難しい話になるのはわかります。

でも、ゼミの師の本にもあるように、子供達の学びの姿をたくさん見て行ってほしいし、学校と保護者が協力するのが、両者にとってとてもメリットがあることだと思います。

 

校内カフェとかの話も出ていて、面白そう。

 

今は、畑仕事やミシンなど、専門にしていたりする人が授業などに入ってきてもらって、手伝ってもらったり、主導でやってもらったりすることがあって。

 

そういうものをもっと増やして、一緒にやるシステムができたら?

先生という職業がいらなくなるかもですが、それぞれ親や地域の特性を用いて、授業。

それこそ、地域に根付いた授業になります。

 

それが企業側も了承してくれて、学校に行ったりすることができるシステムがあったりしたら。

 

そんなことも考えて、学校が求めている人材(地域側に、教員としてではなく地域の方々の力を)と学校に参画したい企業や地域の方々がマッチングできるシステムなんかがあれば良いのになとは思いました。

 

このシステムや考え方は、教員不足にも役に立つと思います。

例えば総合的な学習の時間など、地域の方に託す、とすれば先生方の業務も減りますし。

よっぽど学校外を出て、子供たちは多くのことを学べる。

そんなふうにも思いました。

 

 

<教員と保護者のコミュニケーション>

今の現状に、保護者の方々に学校内の状態があまり明らかになっていない、というのもあるのかなと思います。

実際どんなことをしているのか不透明な部分はあると思います。

 

もちろん、先生の立場や個人のプライバシーの問題で言えないこともたくさんあると思います。

でも、そう言った現状を知るという点でも、保護者の方や地域の方が参画していくことは良い。

 

コロナもあって、教員と保護者の方での飲み会も減ってしまって。

 

話には、教員にとって保護者の方がお客様のような状態になっているとも。

なので、学校や教員が保護者の代わりのような対応を求められることも増えてきたのかもしれません。

 

また、それらに気を使いすぎること、保険をかけすぎることで子供達に何か自由に挑戦させてあげることができる機会もどんどん減ってきている。

 

全てお膳立てされて、成功体験のみを積み重ねていくことは、社会に出た時に挫けてしまう要因になると思います。

 

 

<選択式の教員システム>

子供達により多くの選択肢を提供できる状態は、良いなと思うのです。

それこそ一条項だけでなくフリースクールなどの選択を取れるシステム、行き来ができるシステムが構成されていくのは良いことだと思います。

 

それに加えて、学校のシステムは。

教科担任制などもありますが。

保護者面談や面談、子供たちが自分で担任や授業の先生を選べたら良いのに、とは思います。

 

でもそうすると、選ばれなかった先生は?とか、人気を出すために生徒に媚び始める先生が出てきてしまうかもしれない、など考えられることは結構あります。

 

そうなると、公務員という職業ではなくなっていくとも思います。

一律ではなく、その人の業績によって給料や待遇も変わっていく。

 

そういうのは、子供たちにとっては嬉しいですが。

私はそこで生き残っていけるのか、というところは少し心配にはなりますね。

 

<N高ってどうなの?>

うちの師もでも、N高を推したりしているわけですが。

広域通信制高校。最近はどんどん人数が増えていますね。

そこでやっぱり考えるべきは、人とのつながりが減るのではないのか、という考え。

 

確かに、それは実際にはある。

だから、地元などで地域密着のインターンなどの整備がされている通信制高校は魅力的です。

学びは自分のペースで。でも人との関わり、つながりは担保されている状態。

 

もし、公立学校で似たような状況を作るのであれば、やはり異教科・異学年合同『学び合い』のような形式かなと。

学習のペースは各自で。でもつながりも担保。

 

逆に言えば、そのレベルまでしかできないし、それができなければ広域通信制やローカルな通信制に敵うことはないとも思います。

 

ま、それらが全て平行にあって、学びたいこと、繋がりたいこと、やりたいことが、選択できて、行き来自由のシステムが一番良いかな、とは思うようになってきました。

 

<部活動の地域移行>

部活動の地域移行についても話としてありました。

そもそも、先日の上越『学び合い』の会でも触れましたが、学級数、教員数が減少してきていて。

 

まず部活動顧問が割り当てられないことによって廃部。

部員が集まらず練習ができないから廃部。

 

そういうところが増えてきました。

学校合同でやることもあるようですが、なかなか時間は取りづらいし、繋がりとしては良いですが大会などに出れるまでのレベルに持っていくのは難しいかもしれない。

 

実際、部活動をしんどいと感じる子供、保護者、教員も多くいる。

それは、それぞれの温度差、真剣さも関わってきます。

 

だったら、クラブで良いのではないか。

もっと、ローカルのクラブが勃興してくれば、選択肢も増える。

 

そういう点で、地域移行する、となった時の移行先が増えていく必要性もあるけれど。

平日の夕方から空いている人がいるか、と言われればそれもなかなかおらず。

 

移行も難しい。

 

ただ、子供たちがやりたいと思って、自分たちで集団を作ってやる場合もある。

そういう時に、ダメだ!と言わずに体育館などを自由に貸し出してくれたらいいのにな、と思ったり。

 

 

結局、どこに行っても選択の幅とその保証をしていくことが大事だなと。

 

<責任の所在>

最近の学校では、川に飛び込まない。

 

私が小学生の時には、水着を持って行って総合的な学習の時間に川へ飛び込んだり、入って散策したりして楽しんでました。

 

そういう、自由な挑戦、というのがしにくくなってきているのも事実だと思います。

裁判沙汰とかになるのも嫌ですし。

 

そうすると、子供達にとって良い経験ができる機会が減ってきてしまう。

 

ま、それこそ公立学校とかではなく、フリースクールなどではそういう活動も充実しています。

 

寺子屋TANQの修学旅行やキャンプは、とっても楽しそうでした!

 

結局、そういう充実した学びに気づき、そちらの選択肢を取る保護者の方々も増えてきている。

 

 

先ほどの話ではないけれど、選択の幅を広げ自分で選ぶこと。

そうすることで、選択に責任が生まれる。責任の所在が自分になる。

 

今は、地域で生まれたから、決められた校区の場所に行く。

それは、自分で選択したわけではない。

学校の授業を受けるのも。話を聞くのも。

 

だから、学校に責任が求められるし、勉強などのやる必要性もあまり感じない。

 

以前寺子屋TANQさんの保護者の方々のインタビューを聞かせていただいたことがあって。

子供達の幸せ、楽しさを感じて、選んできている。

だからか、保護者の方々の笑顔も多かったように思います。

 

そういう社会、選択肢が増えていくといいなと思います。

 

<まとめ>

本日は、初めて魚沼『学び合い』の会に参加させていただきました。

会には、多種多様な方々が参加されていて。

中には保護者の方も多く。

みんなで地域や学校、教育について考えていくという感じでした。

『学び合い』の会ですが、授業レベルではなく、生き方レベルの会でした。

 

色々な『学び合い』の会に参加させていただきましたが、すごくローカルな面が強い会で。

 

どうしても、『学び合い』の会は教員の方が多くなったり、『学び合い』の授業方法を考えていくことが多くなったり。

 

でも、今回はそれとはまた違った魅力がありました。

 

以前ゼミの師と話していたこと。

「自分が、教員というステータスをとっぱらった時に、社会において持っている価値とはなんでしょうか?」

 

「それは、ローカルの知識。学校では誰と関わる?子供、保護者。それこそ何よりのローカルの知識であるし、それを間近で学べる」

 

という回答でした。

今回は、それに納得ができました。こういう会だからこそ、ローカルな知識がどんどん身についていく。

私が考えている、

教員として学校の中からなんとかする、子供達を幸せの基盤を持って送り出すということと。

社会人として、学校の外から架け橋となって、外から壊すきっかけにする、また子供たちが送り出された先の社会を考え、協力して作っていく一人になること。

 

その面でいう、後者の方にとても近い会だったなと思っています。

 

そういう繋がりを、自分の勤務する地でも見つけて広げていきたいなと思う会でした。

今後の展望もさらに加わり、とても学びが深い会でした。

ありがとうございました!