今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

2025/09/28 安曇野『学び合い』の会

今日は朝7時に家を出て、安曇野へ。
初めて安曇野『学び合い』の会に参加させていただきました。

大学時代に、いろいろな会に参加させていただきましたが、実はまだ行ったことがなかった会でした。
そもそも、安曇野に行くのも初めて。
天気も良く、非常に心地の良い一日でした。

『学び合い』の会に参加した後は、ご飯を食べたり、大王わさび農場に行ったり。単純にリフレッシュすることができた一日でした。

さて、会に参加した目的ですが、最近は学びを得る機会が少なくなってきている、と感じていました。
大学にいるときは、平日も休日も自由に時間が使えたからこそ、色々な場所に行かせていただくことができました。
教員になってからは、近場で学ぶことが多かったり、そもそも学ぶ意欲が出ないことも。
最近は、それでも課題があまりなく幸せなら良いのか?とも思っていたのですが、やはりそれでは自分的にはダメなようで。
もっと学んで、もっと課題の幅をひげていくことが大切だなと感じます。
当然、やりたいこととのバランスはとりながら、学んでいきたい。

それは当然読書なども含まれますが、何より人との対話です。
ということで、声をかけていただき会に参加させていただきました。

ということで、振り返っていきます。
そもそも、安曇野『学び合い』の会ができたのが7年も前ということで、シンプルに驚きました。
私も卒業後に『学び合い』の会を初めて、オンラインで毎月行っていますが、継続することはやはり大変さを伴います。
それが長く継続されているところが素晴らしいなと感じましたし、やはりそういう場はいつになっても必要であるなと再認識。

さて、今日の参加者の方々は、また実に多様。
小学校教員の方から特別支援、議員さんや幼稚園の園長先生、高校生と幅広い。

そんな多様なメンバーで教育の話題について話していきました。

今日は望月先生から、「教員生活15年を振り返って」というタイトルの元、話題提供していただきました。

教員になって一年どころか、やっと半年たった自分にとって、15年の歳月は想像もつかない。

私のこれからの15年を思い描いた時に、きっとこのままで行かないことが多いのだろうなと考えます。どんな生活をしているだろうか。

今回の話題提供では、望月先生がこの15年での転機についてお話ししてくださいました。

転機の一つ目は初任校。初任者として、そして3年後の『学び合い』との出会いについて。

今の自分と比較して、非常に納得できる部分が多かったです。
業務も、クラスも、右も左も分からないところからスタート。

当然初任研で同じ今を過ごす初任者がどう感じているかは聞くことが多いですが、振り返って初任の時にどうだったか、という話を聞くことは意外と多くない。

そして、それからの転機。
それまで、教育や授業、指導は『大人が授ける』という考え方だったところからの転機。
なんだか、教育現場が大人ベースになっていないか?という感覚。
それは、教育での用語の端々にも感じられることもあって。

そして今、15年目の転機。
これからの学校とは?という問い。

クラスのアンケート結果等も踏まえて、詳細に考えておられました。
大人のニーズと、子どものニーズの違い、という部分が非常に納得しました。

どんなふうに育ってほしいか、を押し付ける(強い言葉ですが)大人と、こう育ちたい、と思うこども。

そこの違いや、社会にそれが反映されていない現状は大いにあるなと思います。

好きなことをやり続けていったらダメなの?という問いがあった時に、どう答えるべきでしょうか。

それでは社会はやっていけないよ、と答えたくなるところですが。
では、その社会とは本当に良い、幸せな社会を指しているのでしょうか。
そんなことも、お話を聞きながら感じたところでした。

子供も、大人も楽しい学校ってどんなものなんだろうか。
それが、望月さんからの問いでした。

悩ましいですね。

さて、今回の流れはこんな感じでした。

今回の会から、自分は大きく3つの観点で思考をしていたと言えます。

・これからの学校、子どもも、大人も楽しめる学校とは?
・自分自身のキャリアについて
・子ども集団は有能である、ということ。

これらを、話題提供やフリートークの時にお話しさせていただきながらずっと考えていました。

一つずつ、書いていきます。

・これからの学校、子どもも大人も楽しめる学校とは?
この話が出た時に、小学校や中学校などが大学っぽくなる、という話が出ました。

子供達に選択の幅が与えられている状態がやはり私自身もいいなと思います。
そこにフリースクールなどが並列に並び、自由に行き来できるようなそんな学びの環境が保障されていくと面白い。

また、何よりネックなのは学び直しの機能がないところかなと感じます。

小学校4年生になっちゃったけど、正直2年生の内容はよくわかっていない、九九も覚えきれてないから大変だ、なんてことは意外とあると思います。

そうなった時、現環境は学び直しは家庭で行うものとして扱われているでしょう。

しかし、今そういった余裕もない。
家に帰れば習い事が多かったりする状態で、また今の学年の宿題や自主学習で精一杯。前の学年の内容なんてそもそもどうやって学習しなおしたら良いかわからない、なんてことも起こるかもしれません。

やはりそういう時にこそ、異学年での学習やそもそも学年を飛び越えた学びを可能にすることなどが良いなと。

ま、でも結局は学習指導要領がどうなるかによって全く異なりますし。
何より、それを受け入れるだけの社会の基盤が作れるかというと非常に難しい。

現状を変えていくには、本当にゆっくりやっていくしかないです。しかも、これまでずっと作り上げられてきた常識を切り崩しながら。

だからこそ、常に思考しておく必要はあるのだけれど、現状の教育にもしっかり向き合っていかねばならないなと改めて感じました。

・自分のキャリア
以前上越『学び合い』セミナーでも話に上がったこと。
自分は、最後まで教員でい続けるのだろうか、ということ。

現状では、教員でい続ける方が幸せは持続するかなと思うのですが、今考えているだけのこと。
大学の時には、それこそ学校を作ることや学び直しの塾、フリースクールなどの選択肢はありました。
当然、管理職になることも視野に入れた上で、どう自分のキャリアを設定していくか。

一年目から考えるべきことではない、と思う反面。
いつから始めたって、早すぎることはないくらい大事な話題だと思うのです。
備えあれば憂いなし。

教育から離れることはあまりない気がしますが、それでもできることは増やしておくことに越したことはない。

今日も、園長先生がいろいろな資格取得をされている、努力されていることをお聞きしました。

シンプルに、素晴らしいなと感じました。
私自身、教員というスキルアップだけでなくて、『自分が生きていく』ためのスキルアップ、資格取得なども視野に入れて、過ごしていきたいなと思います。

・子ども集団は有能である、ということ。
これについては、学校現場に入ったからこそこの認識を持って授業を作れるか作れないかで大きく変わってくるなと感じます。

どこまで任せられるのか、どこが成長の余地なのか。
そして何より、それを教員として純粋にどこまで楽しめるか。

楽しむ余裕を持てれば、非常にいいなと思います。

現状、プライベートも仕事も非常に楽しい状態です。
家に帰ってから何をしようか、ウキウキします。
そして、集団が予想もしていない成長や発想を見せてくれると、それが加速します。

逆にそうきたか、という自分の思想と外れていても、それを楽しいと、面白いと感じる。
そうすると、気持ちが良い。

そしてその気持ちよさと、自分の生活リズムが子ども集団の自由な発想を面白いと感じる余裕を作り出してくれる。

だから、意地でもリズムは崩したくないな、と2学期に入ってからより強く思うわけです。

子ども集団が有能である、と信じきれるかどうか。また、実体験をいくつ積めるかどうか、というのも大切だなと思います。

さて、久しぶりに休日に遠出をしました。
学びの機会には、やはり積極的に飛びついていくべきだなと思います。
結局、学び続けていないと自分の語りだったり、言動もぶれてしまうような気がしています。

今まで学んできたことはより大切に。
でも、それで満足せずに、新しい学びにどんどん食いついていきたい。

本当に素敵な時間でした。
ありがとうございました。