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国語と算数は、両方ほぼ『学び合い』の形で授業をしている。
実際、最初の数分間は解説することはあるが、上位2割が理解する程度にとどめ、あとは集団の力に任せる。
授業の形式や、こちらの方針にも子供達は理解を示してくれていると思う。
時間より早く、みんなで達成しようとする気持ちが見られる。
誰一人置いて行かない。
全員でわかって、全員でクリアするんだ、という気持ちが表れる。
その甲斐もあってか、2~3時間の授業時数予定のところを、1時間でクリアしてくることも多い。
国語なんかは特にそうだ。
そんな感じで、5月中旬に行う内容に、足を突っ込み始めている感じもある。
急いでいるわけでは決してないが、結果的にテンポ良くいっている感覚はある。
今日の授業中、こんなことを伝えてきた子がいた。
「授業の内容、一番最初に終わるんじゃなかった,,,私もみんなみたいに問題の出し合いをしたかった、」と。
その子は、素早く終わってまだ終わっていない子に教えていた。
話を聞いて、笑ってしまった。
色々思うところはあるが、まず自分で問題を出し合いたい、という思考をしている時点で学習への取り組みは花丸だ。
けれど、もっと大切なことがあることを伝える。
「君が一番に終わって、その行動をしたこと。それは、算数の授業の内容がわかることよりも、はるかに大切な力が育っている。周りを見て、誰かを助ける力は、テストの点数を取るよりもはるかに大人になってすごい力。それが今日は伸ばせたね。」
「そもそも、自分で問題を作って出し合うよりも、わからない人に説明する方が、はるかに勉強の内容がわかるようになるんだけれどね。それができたわけだ。」
と。
本人的には納得したらしく、嬉しそうに去っていったが。
あくまで教科学習の授業ではある。
けれど、教科学習を「通して」が私にとっては大切なわけで。
その部分に気づく子どもたちが増えていくと、もっと面白くなるだろうな、という感覚がある。
一つ、寂しかったことを挙げるなら。
一昨日、一緒に国語の授業に参加した特支の子。
きっと、すごく楽しかったんだろうし、学びも多かったのだと思う。
当たり前のように、「今日は先生のクラスでやりたい!」と。
でも、結局他の先生に手を引かれていってしまった。
他の子供達も、一緒にやればいいのに、とか、なんで一緒にできないんだろうね?という疑問を持っていた。
そう、そこなんだよ、と心から思う。
そう思える仲間がいること、そしてそれを実現していく教員の力が、大切だ。
私もできるなら、一緒にやりたい。
きっと、一緒にやった方が、面白い。
だからこそ、寂しく、悔しさもある一場面だったなと思う。