今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

一緒に食べよう?

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給食の時間が盛り上がってきて数週間。
4月から、いろいろあって、特支の児童は別教室で食べていることも多かった。

けれど、教員としては子どもたち同士がどうするのか、というところを見ることにしていた。

今日、給食前に。
「今日こそはみんなで揃って食べたいんです!」という声が。
他の子も、「そうだね!揃って食べよう!」と。

そもそも、その前に特支の子に今日はどうするか聞いていたのですが、今日は別々がいい、という答えだった。

さて、どうするかなぁ、と思いつつ一言。
「そう思っているなら、言ってくれば?」

その後とりあえず何事もなかったかのように配膳が始まって。

全員分が作り終わろうとしている頃に、子どもたちが少し騒がしい。
「今じゃない?」という声も。

なんだろう?と思っていたら、どうやらクラスのほとんどで別学級に呼びに行ったらしく。

数分後に、みんな笑顔で帰ってきた。
特支の子も、給食をもってニコニコ。

そりゃ、嬉しいよな、と思う。

一緒に食べたいんだ、みんなで揃って食べたいんだ、という気持ちを、みんなが伝えにきてくれる。

高校までの昼食の時間の経験から。

「一緒に食べよう?」という言葉は、言われる方はとてつもなく安心する。
言う方も勇気がいる。

今日の昼食は、みんな揃って楽しそうだったなぁ、と思う。

こう言う姿があるから、教員としてやっていて嬉しいのだ。

積み重なる。

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色々な業務が積み重なっている。

疲労感が出てきているのはわかるが、今が踏ん張りどころでもある。

疲労感や、仕事の量が増えてくることが予測されると、どうしても自分の余裕というものがなくなってくる。

余裕がなくなると、かける声がけもキツくなる。
そもそも、良いところを探すアンテナが錆びついてくる感覚もある。

なんとかしなければ!と思うほど、抜け出せなくなることもある。

そういう時は、まず早く寝て回復を。

きっと、無意識にいろいろ考えていることがあるのだと思う。

業務的にも、今集中すべきは公開授業プレと親子活動。
プライベートでも、いろいろ考えるべきところがある。

少しずつ、少しずつ。

バタバタ

1800

今週は忙しくなる、と土日のうちから感じていた。

そもそも、放課後に全て予定が詰まっている状態。
また、再来週に控えるPTC(親子活動)の計画立て等もある。

が、それでも18時までには終わらせて帰る。
やはり、そこを超えると効率はガッツリ下がる。

とりあえず、明日以降もこのルーティン。

具体的には、日直や公開授業の協議会。
面談やプール管理などいろいろある。

が、それでも確実に歩みは進めている。

それに昨年度は18時以降に帰ることも多かったが、今はそれこそレアケースになってきている。

逆に昨年度はそれだけ時間の余裕があり、何をしてたのかな?と思ったりもするが、それだけ仕事に慣れてきたということだろう。

うまく休み時間なども使いながら、調整していきたいと思う。

上位2割は入れ替わるか

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最近、給食はみんなで自由に形を決めて食べている。
コロナ禍から引き続いていた曖昧な黙食ルールを無くし、机の形を自分たちで決めて形作る。

今日、そんな子供達を見ながらふと考えたことがある。

学力面における上位2割は、担任が変わっても大きく変動することはない、と思っている。

まぁ、教員の教え方と相性がよく、ぐんと伸びたり聞く状態になった場合は別かもしれないが。

では、日常における、集団を動かす上位2割は、担任によって変わるのかどうか。

小学校では、年度による担任の変更。
中学校では、教科ごとの変更。

それらによって、担任によって上位2割は変わるのか。
それとも、ある集団になれば、上位2割は変わらずに行くのか。

自分の人生経験上、集団にける意思決定の上位2割は、どの集団に新たに属してもそこに残ることが多かったように思う。

それも、2割というか、本当に1割の人間は、どの集団に所属しても2割にい続ける気がしている。

けれど、それは担任というか、上司の方針によっても変わるのかな?とも。

その方針が今まで上位2割にいた集団の方針とは逆であった場合、ラガートとして下位2割になるのか。

それとも、意思決定においてやはり上位2割になっていくのか。

こればかりは、自分が学級に入った時とそれまでを比較することができなければ難しい話で。

それは行事などでなく、日常的な場面で集団全体を比較できる機会がないと難しいな、と思ったり。

うーむ、どうなんだろうか。

教員が作りだす流れについて

個人の名前を出して、クラスで子どもを褒めること・叱ることというのは、想像以上に影響が大きいと思っている。

褒めることも、叱ることも、大切だと思う。
けれど、個人の名前を出して、それが連続して行われていくと、子供達にもそういう空気感が生まれる時がある、と思っている。

〇〇はいつも褒められる。
△△はいつも叱られる。

そうやって、知らないうちに教員自身が作り出したものが、学級内での評価となっているかもしれない。

褒められる、というのは嬉しいことだけれども。
その時に自分も同じことをしていたけれど、褒められなかった時の感情は、こちらが勝手に判断できるほど小さいものではないと思うし。

いつも注意している児童がいたとすれば、知らないうちに周りの子供たちも、自分たちも強く注意していいのだ、と思ってしまうかもしれない。

良くも悪くも、集団の2割の力は強く、教員の方針をよく汲み取ってくる。

叱ること・褒めることに教員側の他意が存在していれば、敏感に察知し、そのように行動する。

当然、良いことに敏感になるのと同時に、悪いことにも敏感になってしまう。

それを変えるのは、難しいこと。

だから、こちらもしっかりとした理論と軸を持って伝えねばならないと思うし、そこにはしっかり願いがあるべきだと思う。

最近、QUのアンケートから見えてきたこともあり、積極的に褒めるベースの学級経営を意識している、と自分では思っている。

どうしてもいけないことは注意するが、どちらかというとみんなにどうか考えてもらう機会が多い。

褒めた方が、実際注意されたよりもはるかに集団全体の動きは良くなる。
個に注目してもそう。

あとは意識するべきは、1日で褒められた総数を大体同じにすること。
これは実際本当に難しい。
だから、1週間くらいで調整しているつもりだけれども、なかなか。

でも、そうやってやって行った方が、お互い気持ちよく過ごせることはもうわかっている。

私の話になるけれど、直すべき点や注意する点はびっくりするくらい早く見つけてしまう。

だけれども、褒める点や成長を感じる点は、自分が能動的に探さないと多くは見つけられない。

びっくりするくらい、素晴らしいところが出てくる時ももちろんあるけれど。

その『褒める』『成長を感じる』ためのアンテナを、こちらは常にたてておく必要がある。

これは、意外と意識していないと難しい、と思ってしまう。

だから、こちらに余裕も必要だし、機嫌もよくある必要がある。

けれど、これらが意識できている時ほど。

学級の姿自体も、非常に穏やかで、楽しげで、素敵な姿が多く見えてくるもの。

そういう余裕を、自分に。常に。

時間内に終わらせるということ

今の職員室の席配置では、特支の先生と私のクラスに来てくださる介護員さんが隣り合う席になっている。

放課後は雑談をよくしたり、そのまま1日の振り返りとして児童対応がどうだったのか、という話もよくする。

子供達の良かった面、これからのこと、何より自分たちがどうだったかどうかも。

以前介護員さんとの会話で。

担任や特支の先生がいないところで問題が起こったときに、自分の対応が本当に良かったのかどうか、そして何よりその対応によって結果的に担任や特支の先生の負担(お家への電話など)が増えてしまっていないか、というところを心配されていた。

とても責任感があり、細やかに対応してくださる方なのでこちらとしては助かっているが100%なわけだ。

そんなに気に病む必要もないです!と口でいうのは簡単な話。
大事なのは、その後の行動の気がする。

私も、特支の先生も、基本的には17時までには職場を出ていることがほとんど。

保護者の方へ電話等する必要があるときは、業務時間内に隙間を見つけて速攻で行う。
連絡帳もそう。

私は『学び合い』授業や、子どもたちへの信頼があるので、授業中一瞬席を外して電話をしにいっても、子どもたちは学習を進めている。

特支の先生も、空き時間等うまく活用されていて、業務をテキパキこなされている。

結局、相手を負担に思わせない最良の術は、私たち教員も早く帰って楽しく過ごしている姿を見せることだと思った。

これは子ども相手にとっても大切だと思っていたけれども、同僚にとっても同様。

余計な不安を残さず、お互い気持ちよく仕事をしていくためには。

私たち教員が残って残業していると、それによって申し訳ない、と思う方がいることがわかった。

だからこそ、早く帰るべきであり、毎日楽しそうに勤務に向かうことが大切なのだろうな、と思う。

改めてそういった話を伝えると、少し安心していただけたようで嬉しかった。

色々な事や人につながっているのだなぁと改めて感じる。

ま、放課後にそういった雑談や話をする余裕がある、ということがまず大切で、スタートラインでもあるとも思うのだけれども。

スイミー音読発表会

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今日はずっと準備してきたスイミーの音読発表会。
クラスの中で赤組白組で分かれて1週間ほど練習を重ねてきた。

練習期間中は、評価項目については何度も伝えてきたけれども、直接的な指導については基本行わなかった。

前回のふきのとうの音読会と大きく違うのは、特支学級の子供達も一緒にグループに混ざっていること。

練習の時から、それぞれのチームの工夫や本気度合いが伝わってきた。

当日は、まさかの衣装合わせまでしてくるチームが登場。
昨日連絡帳を書くときになんだかんだ話していたのはそういうことだったのか、と合点がいく。

スイミーの黒い服や兄弟たちの赤い服、ナレーター役など、色々登場。

本番では、二チームとも劇を交えながら、動いたりして音読をする。

そもそも、音読自体非常に良い声で、すらすら発表していたのですが、そこに動きも加わって、より伝わりやすいものに。

前回同様、なんの指示もしていなかったからこそ、子どもたちは自分たちの発想を存分に生かして挑んでいました。

劇の動きも、何度も確認して練習する姿、ナレーターが自分の音読スピードを気にする姿、タブレットを使って自分たちの発表を振り返る姿。

そういう素晴らしい姿が、たくさんありました。

二年生です。

本当に集団として素晴らしい。

特支の子が、自分のセリフを完璧に覚えていました。
大きな動きで、仲間たちを呼んでいくシーン。
「出てこいよ。みんなで遊ぼう」

「ぼくが目になろう」

本当に素敵で、輝いていました。

特支担任の先生と授業が終わった後も、放課後もその話をしました。

その子達自身も頑張ったし、その子たちの持ち味が最大限に生きるようにリーダーシップをとった子どもたちがいた。

本当に素晴らしい発表会でした。

私は、ただ信じてゆったりしていただけですが。

集団は、有能であるのです。
上限を外し、できる分だけやってみる。
その時間と空間の余裕を与える。

本当に、よかった。

今回の発表の動画は、先生方のタブレットに共有しました。
子どもたちが、いろいろな人に見てほしい!と。

先生方もたくさん褒めていました。

そうして知っていってほしい。

子供達の有能さを。

その発信の役割こそ、私の役割だと思っています。
授業者は、完全に彼らだったと思います。

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