今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

子供達を考える

昨日は、お昼頃から越後『学び合い』の会のパンフレットに向き合い、、、

結局夜までパンフレットの入稿に戸惑いながら。

 

夕方くらいまでは、自分の力で戦っていたのですが。

学校に行って、先輩方に助けを求めました。

 

おそらく、ゼミに入るまではあまり人に頼るようなことをしなかったと思います。

今回も、おそらく自分の家で戦い続ける。

 

でも、そこで頼れるようになった、助け手を求めることができるようになったのが、ゼミに入っての成長だと思います。

 

人を、集団を、信じることができるようになってきた。

 

 

助けを求めて、時間はかかりましたが最後には無事入稿することができて。

頼ってよかったな、と心から言えます。

本当にありがとうございました。

 

 

そのあと、その広報のメンバーでご飯に。

ご飯の最中に、『学び合い』の話に。

 

実習中に『学び合い』に挑戦したいという先輩がいたということもあって。

 

ご飯を食べながら、そして帰ってきた後に、一緒に授業を考えました。

 

自分も小、中の実習で『学び合い』の実践ができたからこそ、そういう視点から話すことができました。

 

また、一緒にワークシートを考えたりする中で、自分の頭の中で、すぐに実践できるレベルまで『学び合い』の方法は染み付いているなと感じます。

 

 

新人になっても、すぐに『学び合い』ができるようにしておきたい。

 

 

『学び合い』を、教育実習中にできたことが、自分の成長にとても大きくつながっているとよくわかります。

 

本当に、子供達を任せてくださった先生方に感謝の気持ちを持ちながら、

自分の力をこれからも高めていきたいな、と思いました。

進むしかない。そんで、なんとかなる。

昨日ゼミで質問してから、カテゴリ分けがよりやりやすくなりました。

 

卒論だけではないですが、ゼミがあるときに、質問に困る時が時々あります。

そういう日は、自分がその一週間、あまり何もしていなかったのだなぁと実感します。

 

卒論を進めていれば、悩むことはたくさん出てくる。

教育のことでもなんでもいいですが、毎日考えて行動していれば、壁に当たったり、悩むことはある。

 

ボケーっとしている日常も、穏やかで楽しいし、素敵ですが。

 

やらなければいけないことがある日常では、それではまずいなと思っています。

 

とりあえず、9月で進みきるしかない。

 

 

今日はお昼から大学へ行って卒論したり、人と話したり。

そのあとはすぐに塾へ。

 

大人も子供も、みんなよく考えて生きているなぁって思います。

それぞれの課題間、考えるべきことに向き合っている。

 

子どもの、受験までの計画を一緒に立てましたが、昔の自分を思い出して懐かしい気持ちになっていました。

 

 

さて、とりあえず最近の学び。

 

「なんとかなる」という言葉には、いろんな意味合いがある。

怠惰に、何もせずその時を待つ、きっと乗り越えられるという淡い期待、という意味で自分はずっと考えていましたが。

 

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますね。

自分で努力できる限界までして、あとは焦らず、天の意思に任せる、というもの。

 

つまり、努力するところまではして、考えられるところまではなんとか考えて。

そんで、最後は「なんとかなる」という気持ちでいる。

 

そういう使い方もできるなぁって、人から学びました。

 

 

結局、そういう使い方をするときは、「なんとかなる」ために、どこかで「なんとかする」力が働いている、もしくは働かせているし、

「なんとかなる」と言える人は、実は先を見ている人、とも言えるなって。

だって、そのなるかならないかのポイントが見えているわけで。

 

そんな言葉を、使っていきたい。

ゼミにて

今日はバレーのみで大学に行く予定がなかったのですが、

卒論のカテゴリ分けに悩んでゼミに出ることに。

 

卒論の質問の前に、ふと気になったことを質問。

 

「先生は、なんで俺らと一緒にご飯食べるんですか?」

うちの研究室では、平日いつも11:30くらいになるとゼミ室に先生がきて、そこにいるゼミ生と一緒に学食に行くという文化がある。

時々、他の研究室の院生さんや教授の方も参加されるので、普段関わることのない人たちとも関われる良い機会なのですが。

 

疑問に思った理由は、まず先生があまり自分達に積極的に関わろうとしない、と私が思っていたからです。

というのも、『学び合い』のセオリーなどでは、全員にしてあげることができなければ、やるべきではない、という認識があったり。

個人と関わりすぎれば、それは贔屓になる、ということも。

 

だから、先生は上司の役割として、意図的に深く関わらないようにしていると思ってもいたんですが。

 

でも、学食は一緒に行くよなぁ、とか。

ゼミ室にいたらよくゼミ室に来て、そこにいる学生とバカ話するよなぁ、とか。

それで質問。

 

回答は。

「寂しいから」という、なんだかめちゃくちゃ人間味がある回答。

 

色々深掘りしていって。

そもそも、ゼミ生に対しても興味がないのかなぁとかも思っていたんですが。

 

真逆で。

「ゼミ生に対しても興味はある。」なんて回答も。

 

結局、大事なのは自分の行動が起こす影響を考えること、軸を持って分かりやすい線引きができること、のように自分では捉えました。

 

子供達の幸せを願っているし、関わりたい、知りたいという気持ちはある。

それがウォームハートである。

 

でも、自分の行動を律して、集団を俯瞰して捉える、関わりすぎないということも含めて、クールブレイン。

 

この、ウォームハートとクールブレインの意味、そこからくる行動について納得がいきました。

 

それに付随して、質問。

「みんなにできることならいい、ということならば、学活などで先生も混ぜて遊ぶことになったら遊んでも良いのか?」という質問をしました。

 

答えとしては、「そもそも、集団が出来上がっていたら先生を混ぜて遊びたいという発想は出ない。子供が先生や実習生と遊びたいというのは、集団が出来上がっていないから。先生や実習生が入ることで、メンバーがつながったり何か起こった時に対処してくれるから。」

 

という回答をもらいました。

思い出しました。

小学校の時に昼休みに遊んでいた時。

仲のいいメンバーで体育館で遊んだりしていましたが、そこに先生を混ぜて遊びたいとは思ったことはなかったです。

実習生の先生が来ても、仲間と遊ぶのが楽しかったら別にいいかなってなったりしていて。

 

結局、そういった集団のつながりができていれば、そもそも先生を誘わないというのに深く納得。

 

 

その後は、卒論の質問。カテゴリ分け、どんどん頑張るぞ!ってなりました。

 

正直、動画が見終わらない不安が多くて、少しずつ他の人に対して配慮したりすることが疎かになっている、とも感じています。申し訳ない。

 

当然ですが、人に当たらず。でも不安を聞いてもらったりしながら、できることをやりたいと思います。

感慨深いこと

新しく塾に行く日が増えました。

ということで、本格的に勤務も増えてきて。

 

今まで勤務していた日じゃない曜日に行くと、あまり普段から会えない子供達にも会うことができます。

 

また、夜遅い時間だと、生徒数も少なくなってくるので、見回りの時なども会話する時間が増えたりも。

 

 

自分が勤務する塾では、基本的に中学生まではそこにいる先生が見て、高校生になると遠隔で指導するようになるのですが。

 

私が昨年高校に送り出した子供たちも何人かきていて。

 

 

高校一年生。自習時間、うとうとしていました笑

部活に入っているようで、仕方ないよなぁって思って。

数年前の自分を思い出していました。

 

バドミントン部で、一年生の最初はコートに入れる時間が短い分、外周やトレーニングが多くて。

コートに入ったら、今度は別のきついメニューがあって。

 

それを18:30までギリギリでやって、帰ってきてお風呂。

21時くらいから自分の部屋に行って、予習復習したりして過ごしていましたが、

その時の自分も、塾で見た彼のような様子だったなと。

 

部活の疲れが残って、でも勉強も頑張りたいから、椅子に座ってうとうとしながら勉強する。

ずーっと睡魔と戦って。

 

そういう姿を昔の自分と重ねて、感慨深い気持ちになっていました。

 

眠そうだったので、声をかけて学校生活の話をしたりして。

楽しく、頑張り続けているようで良かったなぁと思いました。

 

 

他のことも話して、文化祭の話が出たり。

コロナが明けて、文化祭ができるようになって。

 

自分は、多分コロナに入るギリギリのタイミングで文化祭を経験できたから良かった。

 

高校の記憶が新しいからか、高校生たちと話していると、自分の記憶が戻ってきます。

本当に楽しかったなぁ、って思うし。

子供たちも楽しそうで本当に良かった。

 

そういう、成長を見られたり、話を聞けるのが教員の嬉しいところの一つだなぁって思いました。

 

 

追い詰められ、不安。

1日家で卒論の動画視聴を進める。

 

考えれば考えるほど。スクロールすればスクロールするほど、膨大すぎる量に不安になる。

 

見きれるか、ではない。

データを取り終わった時に、どうなるか。

 

言いたいこと、ゼミにいて感じることはある。

動画を見る限り、確かに変化してきている。

 

その変化を動画のカテゴリわけで明かしたい訳だが。

明かして、どうする?

 

本の発売や集団の上司の役割の人の興味によって集団が変化することを言いたい。

そのためには、動画からデータを取っただけでは終わらない。

 

動画データですら先が見えないというのに。

 

論文だから、文章に直す必要もある。

発見しただけでなく、それを書き表す過程もある。

 

できるか?やるしかないんだけれど。

どこまでも、不安。恐ろしく。

切羽詰まる

昨夜遅く寝たこともあって、お昼まで睡眠。

最近、生活リズムが乱れてきているのを感じます。

 

午前にジムに行ったりと家の外に出る予定があるとだらけないのですが、どうしても予定がないと遅くまで寝てしまう。

 

卒論のデータ収集ももっと切羽詰まってやるべきだなと思っています。。。

 

夕方は、急遽大学へ行ってパンフレットの印刷。

着実に、越後『学び合い』の会が近づいてきていることを感じます。

 

見逃していることはないか、頭を働かせつつ、でも自分のこともしっかりやらなければいけない。

 

苦しい時間ですが、なんとか乗り切りたいなと思います。

 

そんなこんなで家に帰ってきて夕飯。

食べた後、気づいたら何時間も寝てしまっていました。

 

まだまだ寝れなそうなので、卒論動画見進めたいと思います…

個別最適か?

今日は、本当に久しぶりに塾の長い勤務日。

先生の入れ替わりだったり色々あったりで、いつもの数倍生徒を見る時間が増えた。

 

4月から、教員採用試験の勉強だったり中等実習で行けてなかったので、8月くらいから本格的に復帰し始めたのですが、久しぶりの人数。

 

でも、楽しかったなぁって思います。

 

もう、勤務して4年目になります。

その塾には中学生の時からいるので、塾はもう慣れたものです。

 

小学生から、中学生、時々高校生も教えますが、ある程度どの単元を任せてもらっても、テキストなしで教えられるようになりました。

 

個別で教えるからこそ、その子がわからないところが見えるし、そこにフィットした教え方、計画を立てられる。

 

確かに、人によって相性はありますが。

それでも。ミスの傾向だったりは似てくるし、ゼミでもよく言われること。

 

そもそも点数を上げる一番の方法は。

 

その子が勉強をやる必然性、気持ちが生まれなければいけない。

 

 

だから、その人そのことを変えられない、とわかっているけれど。

何かのきっかけや、手を動かす要因に、少しでもなってくれたらなと思えます。

 

 

でも、その子の興味だったり、その少しのきっかけに気づける点では、個別で良いなと思います。

 

 

そんなこんなで、結構働いて。

生徒を見ていない時間もあったりなんですが、逆に4月からいなかった分話すことができていなかった新入社員?というか新しい講師の方々ともたくさんお話しする時間ができて。

 

やっぱり、共通の仕事があると、そこから会話が広がりますね。

生徒の話題でも、お話しできるし。

生徒が成長したところ、これから伸びていきそうなところを、一緒に考えて、一緒に楽しむ。

 

そういう時間が、教員になってからもたくさんあるといいなって思います。