今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

理想の教師像

4年生でとる最後の必修授業に、教職実践演習という授業があります。

現場に出た後の具体的な場面を想定して授業を受けたり、討論したりする授業。

 

授業自体、担当の先生が好きで、面白く聞かせていただきました。

活動も、他の学部生が持つ視点を共有したりして、一緒に対策や解決法を考えていくのは面白かった。

 

その授業の最終課題こそ、自分の理想の教師像について800字でまとめるというもの。

 

今までブログでも書いてきたことなので、自分が今後どうしていきたいか、どんな学級にしたいかという願いはあるし、それを言語化できるようになってきたとも思う。

 

でも、一点、理想の教師像、というのが非常に難しい。というか引っかかってしまう。

 

非常に屁理屈なことをこれから書く。

 

理想の教師像を考え、自分で書くと言うもの。

一体、誰の理想なんだろうなって思ったり。

 

私の中で、理想というと、ああなりたい、こうなりたい、という憧れだったり、目指す姿というふうに捉えるのですが。

 

それは、教員が理想とする姿、なりたい姿であって。

それは果たして、子どもにとっての理想と一致しているのか、というところに疑問を持ちます。

 

 

それを突き通すことで、いや、そもそもの相性として、理想の姿になったとしても合わない子どもはいる。

 

じゃあ、自分が目指す教員とは何か、と考えた時に。

多様な選択肢の一つとして、使って欲しい、とも思うし。

幸せのロールモデルの1つとして、生き方を伝えたい、とも思うし。

 

でもそれを理想の教師像っていう風に言うのか、うーん、とか思ったり。

なんかに引っかかるんですかね。

 

別に、つべこべ言わずに書いちゃえばいいんですけれども。

 

結局、今の自分の本音で一回悩みながら書いてみて。文字数をまとめるのがめちゃくちゃ大変で。

 

それで結局、え、これって本当にレポートとしてまとまってるのか?みたいなことを思い。

 

最終的に、もう一つ仮の理想の教師像を打ち出して書く。。。

 

 

仮と言っても、そうですね。

私が大学に推薦入学した際に、面接練習やPR文などで考えて、語ったことを書きました。

 

だから、実はレポートが2枚笑

 

 

でも書いてみて。

意外に、仮で思ってもないことを書いてみるかぁなんてやってみたけれど。

意外に、共通点だったり、今も大事にしていることが含まれていて。

 

簡単に生き方は変えられないよなって思ったりもした。

 

けれど、自分の成長や、考えて、思う気持ちというのは確かに大きくなったな、ということも実感できました。

 

案外、手間はかかるしタスクに時間はかけられないけれど。

やって良かったかもしれないと思えている。

 

文字数オーバーなので、インスタには上げられませんが。

Facebookかブログには書いた文章投稿しようかね。

とりあえず、提出日終わってからブログで文面載せますね。

 

明日はイベントのお手伝い!!

xTalksのまとめもしたいし、、、

 

やることたくさんだ。

内と外

寒くなってきたので、今日はしゃぶしゃぶを食べに行ってきました。

私は来年から学校内で教育に携わる立場に。

友人は、学校外で教育に携わる立場に。

 

おそらく、求められる力や知識も違ってくる。

でもまたそこが、共有すると面白いところでもある。

 

いずれ、内外から協力して一緒にいろんな問題を解決していけたらいいなと思っています。

 

 

意外にも、多くの方がブログを読んでくださっている。

知らないところでシェアしていただいたり。

ブログ文を引用してくださる方もいて、とても嬉しいです。

 

また、自身の投稿を振り返るきっかけになったりもしています。

 

改めて、読んでいただいている、ということ。

また、意外に多くの方の目にとまる可能性がある、というとこと。

 

それらは、自分の書く文に責任が付くということでもあります。

 

教員になった後も、おそらく発信し続けるとなった時。

保護者の方や地域の方、子供達でも見ようと思えば見れる。

 

そういった「見られている」という意識は、常日頃から張り巡らせておく必要があるなと

思っています。

 

実名投稿だからこそ、気をつけるべきところ。

 

 

けれど、逆に言えば究極の自己開示でもあることに気づきつつある。

 

最初にFacebookや、Instagramにブログ等を投稿するときは、正直めちゃくちゃヒヤヒヤしていました。

 

あまり自分の話をしない性格だったこともあって、何を考えているのか伝わりにくかったり、

一人で背負い込んで考えることも多かった。

 

だから、今のゼミに入って、「繋がる意義」のようなものを見つけることができた、というところにつながっているのですが。

 

 

そういった自分の腹の中を、不特定多数の人が見る、知り合いの人も見るところにありありと投稿する。

 

毎日投稿すれば、自分の行動や思考はある程度ブログを読んでいただければわかるようになる。

 

 

最近、良いのか悪いのか、他人からどう思われているのか、というところについて気にならなくなってきました。

 

というのも、私はこういう人間である、ということを常に文で書いているわけで。

 

良いと思ってくれれば嬉しいし、合わない人はきっと合わない、見ない、話しかけてこない。

 

 

自分自身変わったなぁと思うところの要因として、ブログによる自己開示があるのかもと思います。

 

単純に、自分の思考を整理したり、自分の意見を作るからこそ、自信にもつながっているのでしょうか。

 

 

価値や成長を感じられて嬉しいです。

 

今後も、意識と責任をしっかり持ちつつ。自己開示と自己整理を兼ねて投稿していきたいと思います。

 

2024/12/6 純喫茶

先日、ちょうど長岡市民立小中一貫校じゆうがっこうへ見学に行ったその日の夜に。

初めての、『純喫茶』に参加させていただきました。

 

<引用>

上越教育大学の西川純先生のオンラインゼミ生と元オンラインゼミ生同士で語り合う『純』喫茶。

新刊「『学び合い』でできる!今日からはじめる自由進度学習」の発売に先立ち、「じゆう進度学習」をテーマに語り合っていく。

オンラインゼミ関係以外の方でも!!

 

ということだったので、参加させていただきました!

 

実は、以前から純喫茶にとても興味があって。一応オンラインゼミ生ではない人も、となっているのですが、どうしようかなぁ、という感じでいたのですが。

 

今回、ゼミの師の新刊が出ましたね。

私も買いました。まだ読めてないですが、いい機会だ!と思って飛び込んでみる。

というよりも、こういう機会にとりあえず飛び込んでみたくなるのが今のメンタル。

卒論は大丈夫なのか。。。

 

 

ということで初参加。

実は、いろんな会で見たことがある方、お話しさせていただいたことがある方がほとんどだったり。

どの方も、実践者として大先輩なので、聞いてみたいことがたくさんありました。

話題もちょうど自由進度学習について、だったので。

 

私自身も、授業レベルの『学び合い』の振り返りのためにも、新しい知識のためにも、参加してみたわけですが。

すごく濃かった、1時間でしたがもう楽しかったです、本当に!

また参加したーい!

 

ということで、振り返りをしていきますね!

 

 

ブレイクアウトルーム1>

最初のブレイクアウトルームでは、自己紹介も含めてお話し。

それぞれの方の実践の話などを聞くことができました。

 

中には、問答実践を取り入れられている方もいて、すごいなと。

私も教員になってから、問答の時間を取り入れたいなと思っているのもあり。

今後見学に行ったりするのも、問答の実践に取り組まれている方の授業や子どもの様子を見てみたいなと思ったりしています。

 

 

学校内の雰囲気は、やっぱり自分の実践への自信に少し影響を与えるのか。

『学び合い』は、一人でやるもよし、みんなでやるもよし。

だから、クラスの実態が表面化する、とも言える。

 

そうすると、一人でいることがよくない、仲間外れになっている!という視点だけで捉えてしまうと、うまく回らない。

 

大事なのは、自己選択ができているのかどうか。そうせざるおえないからそうなっていないか、というところかなと思いました。

 

自己選択、自己決定。それを、教員は肯定する。(本当にいけないときは、しっかりと枠組みの確認をしますが)

 

 

校長先生が『学び合い』に協力的だと、すごく助かりますね、、、

 

 

『学び合い』実践をされている方の中には、というか多いのは、今までの自分の実践で、限界を感じてしまったり、どこかで躓いてしまった、という話を聞くことがあります。

だから、本を読んでいく中で、『学び合い』に出会った、というふうに。

 

結局、自分が当事者になって、大変さや子供達の、本当に誰一人も見捨てない状態ってどうすればいいんだろうかって考えたときにしか、理解って難しいのかなぁ。とか。

 

私たちゼミ生は、んー、そういうことに出会う前に『学び合い』にであって。

その視点で見ると、自分の一斉指導とかで、楽しくなさそうだったりわからない子達が見えるようになってしまって、『学び合い』学ばなきゃ、ってなることもあって。

 

出会い方は、色々。考え方もいろいろなんだなと改めて実感。

 

自分が実践していくときも、これも自己選択、自己決定の考え方で。

それしかできないからする、ではなくて。

 

そうしたい、それに価値がある、だからやる!といって実践できるようにしたいな。

 

 

「教える」と「育成する」の違いは、何か。

 

以前師と話していたときに聞いた話。

「『学び合い』で先生が教えず、子供達全員がわかって楽しい状態と、『学び合い』ではなく先生が教えて、わからない子がいる状態、どちらが良いですか?」

という話で

「先生が教えて、、、」というふうな会話が昔あった、ということを聞きました。

 

衝撃が大きかった。

 

 

何が、大事なんでしょうか。

「教員が教える」ということでしょうか。

 

子供達がわかるなら、多様な選択肢を用意するべきではないでしょうか。

 

 

結局、通信教材の発展で、わかりやすい授業、ためになる授業というのは、結構豊富にインターネットにあふれている時代。

 

私も来年から教員になりますが、悲しいかな私が一年目に授業するよりもわかりやすい解説はあったりする。向こうはベテラン。

 

じゃあ、教員の役割って何か、ってところを改めて考える必要があると思います。

 

「教える」が、教師の全てじゃない。と私は思います。

 

最近の私のそれに対する一つの答えが、幸せのモデルの一つとして、語り、伝えていくこと。

今のゼミで師がやっているようなことですね。

 

それは、一斉指導でも『学び合い』でもそうだと思います。

大事にしたいことです。

 

 

<自由進度の時、他クラスとテストの時ってどうしてる?>

学校内の立場でも、「そういう授業する人だ」と認識されていたり。

「適切に聞いて、流す」ということもあったり。

 

人によって、いろいろなようで。

意外と他クラスとの進み具合を気にしなかったりもする。

中学以上は、合同でテスト作ったりもあるのでそうはいかないかもですが。

 

そういうバランスをとりながら、やっていく。

 

結局、多分そこで求められるのが、「結果を出す」ということ。

結果が出てるから。

 

 

ブレイクアウトルーム2>

新しいブレイクアウトルームでは、学級や授業での選択、クラス分けについての話もありました。

 

あまりクラス分けや授業内でのレベル分けについて話を聞いたことがなかったので面白かった。

 

これもまた、学校や地域によって変わってくることなのかなと思ったり。

いろんな地域の取り組みをもっとみてみたいなと思います。

 

 

でも、授業のレベルや説明方法、授業方法、担任。

そういうものが選べたら、やっぱり面白いよなって思います。

 

別に、それで担任を差別化するわけではなくて。

多様な方法を、学校内でも子供達に提供できるようになってほしい。

 

 

自由進度学習✖️『学び合い』

 

子供達の言葉で話し合って言語化できる、そういう時間が担保されてほしい。

 

以前の授業見学や会でも出ていた話。

子供達の学習における共通言語を増やしていくこと。

 

その時間をしっかりと取って、行っていくことが大切。

逆にそれが保証されていなければ、これはただの放任学習。

できない子、わからない状態がずーと続く辛い時間になってしまう。

 

 

この共通言語、という話題には、子どもたち同士でなく先生同士も当てはまる。

先生方がどのようにつながっていくか。会話し、コミュニケーションを取っていくか。

 

合同『学び合い』なんかは、先生同士で話すことができる。

それも、子供達のことを話題にして、コミュニケーションが取れる。

きつかったら、相手の先生に任せられる。

 

学校内で取り組む『学び合い』も、みてみたい。

みんなでやったら、どうなるか。

 

また、子供達の動きだけでなく。

先生方の関わり合い、先生方がどう推し進めているのか、どこに価値を置いているのか。

そういう教員視点でも、みてみたいなと改めて感じました。

 

 

今回は参加させていただき、ありがとうございました!

そもそも、まだ実践すらできていないのにも関わらず、温かく会話に混ぜていただいて。

とても居心地の良い空間でした。また参加させていただきます。

 

来年以降のオンラインゼミ。

本格的に考えなければなりませんね。

繋がりから繋がりへ。

先日、高校の時から仲の良い友人から連絡が。

 

インターン先で出会った人で、将来教育に関わる仕事をしたい、という気持ちを持った子がいたから、いわしのSNS紹介しといた!」

って。

 

インターンからのつながりって珍しいなあなんてことを思っていたりしました。

大体、教育系の人が行くのは教育実習だったりで、インターンに行かれたりする方は、視点を広く、企業との連携を考えていたり、就職先の候補を広げたり、その辺のことを考えている方なのかなぁなんて思ったり。

 

それで、話が進み、なんと今日はその方とオンラインでお話しできる機会を作っていただきました!

オンラインってめっちゃ便利。。。

 

要は、友人のつながりからそういう場を設定することになったわけですが。

 

お話しさせていただいた方は自分より一個下の後輩でもあって。

間に私の友人も挟まる形で、3人でオンラインでお話。

 

いやぁ、楽しかった!

 

 

私自身は、多分今は実際の学校教育がメインの軸で、地域との連携とかをもう一つの軸として育ててきている最中という感じで。

 

友人は、がっつり工学部、インターンバリバリのしっかりした方なので、完全に企業目線でのお話。

 

今日初めましての方は、教育を希望しつつ、視点は社会から俯瞰してみていて、という感じで。でも、しっかり自分のやりたいこと、こうなって欲しい!という気持ちがあって。

 

とにかく、学校教育は!!という話よりも、教育を話題の中心に据えて、教育の内外の話を一緒にしていく、みたいな。

 

私自身、今日までの学びを振り返ってお話しさせていただくことができたし、教育学部、教育大学内とはまた違った視点でお話が進んでいくのも面白かった。

 

私自身がよく思うこととして、教育現場に入っていくときに、いかに教育外につながりを持って置けるか、だと思っています。

 

結局、子供たちを育てていった先。

全員が教員になるわけではない。

 

だから、その先の社会で、多様に働いている人たちと繋がって、情報を得ることはとても大事だし。

 

「先生の友達さ、こういうふうな職業でさ、これ面白そうなんだよね!」とか、

「今度お話ししにきてもらおっか。何か聞いてみたいことある?」なんて会話が授業や総合の時にできたら、素敵だなって思います。

 

 

そういう新しい視点をもらえるつながりがあること、すごく感謝です。

 

今日新しく知り合った後輩君も、見学だったりに興味があるようで。

一緒に1、2月に見学行けたらいいなぁなんて思っています。

 

 

私も、多分今のゼミに入らなければこんなことを考えられていない。

ゼミに入って、普通に過ごしていれば、こういうつながりに出会えていない。

 

現職の方に連れ出していただいたからこそ、自分から見学に行ったり、お話を聞きに行けるようになった。

 

一人で、仲間もいない中で進むのはすごく怖いです。

もちろん、それができる強さがある人もいる。

 

それならそれでもちろん良い。

 

でも、そうでない環境にいることもあるし。

ためらう自分がいるのも事実だと思います。

 

そこで、一緒に行ける先輩が、仲間がいることが、どれだけ幸せだったのか。

 

身に染みて感じますし。

もし自分もそういった対象になることができるのであれば、惜しみなく協力したいと思います。

 

 

 

会議が終わった後に、単純に友人と少しだけお話をして。

彼も、すごいといつも感じています。

今後、企業の視点を持つ時には、絶対に頼ると決めていますし。

 

そもそも、そういった利害関係、のようなものではなく。

 

高校から勉強や部活、人間関係などいろんなことを話してきた彼だからこそ、

また新しい色々なことの話がこれからもできると思っています。

 

そういうつながりを持てた高校生活や、友人に感謝ですね!

 

二人とも、今日はありがとう〜

価値あることには金を出す。

見学に行ってブログを書いたりしていると言われること。

「ゼミ費で行ってるの??」

いえ。全額自費です。。。

ゼミの師の本を読んでると言われること。

「本って貰えるの??」

いえ。本屋やAmazonでちゃんと購入しています。
貰うことはありません。。。


なんて会話をすることが時々あります。
全部自費やぁぁ😭


と、財布も気温も寒くなってきた頃なのですが。

確かにお金が無くなっていく、というのは事実あります。実家暮らしだから相当助けられているというところもあります。

でも、自費だからこそ、と思う時があります。

自分でお金を払う、ということは、覚悟と責任が必要になります。
先生は、「お金は誠意」だと言います。
だんだん意味がわかるようになってきました。

必要だから、かける。
かけたからこそ、自分の中での重要度が上がる。

別に、ただでは帰れない!なんて思って見学に行ってる訳では無いのですが。

でも、やっぱり自分の中でそれだけ優先度がつくとは思うのです。

お金をかける基準は、自分の生きる軸や指針が基準になるからこそ、です。


あとよくある会話。
「西川研究室に入ったら、みんなブログ書くの?」

これも、いいえです。
やりたい人はやるし、やらない人はやらない。

先生がやっていて、そこに価値を置いている人はやる。

だから、研究室を卒業・終了された方でもやり続けている方がいらっしゃる。

私も、来年から新採用ですが。
ブログ、投稿の価値にせっかく気づいて来れたからこそ、続けていきたいなと思っています。

先輩方がやっている、〇〇時退勤みたいなのも、やってみたい。


自分がいいなって思うことを、たくさん続けていきたいなと思います。

終了と報告とその次のこと。

風邪を!!!!!ひきました!!!!!

 

 

11月から始まった、自称見学月間①が無事に終了しました。

(①がある、ということは、、、!)

 

((次は九州カナ、、、))

 

 

 

越後の会から始まり、モチベーションが高くなったところに、金井先生のフォーラムがあり。

フォーラムを通して、自分の理論の脆さを知り。

仲間とともに動いて回った一ヶ月。

 

教育観も、多分がっつり変容しているし。

明らかに一ヶ月前と、話せる内容も変わっていると実感します。

 

この前、一年前のブログ記事を見ていたのですが。

同じ場所に行っても、分量が10倍ほど違ったり(盛ってないですよ!?)

そもそも、物事の捉え方の範囲が広くなったり。

見取りの力がやんわりとついてきたり。

自信もついたり。

 

前のブログを見返したりするのも、結構いいなって思います。今度やってみます。

 

 

 

正直言えば、情報過多です。すごい。

でも、人との対話は結構やっています。

おそらく、今足りていないのは自分で考えること。整理して、自分のものに落とし込むこと。

それは、一回ブログを書いたくらいでまとまらないし。

一回のブログは、その場のことを整理しているだけ。

そこをつなげる思考をまだやれていない。

 

だから、また各ブログの<まとめ>なんかを引用して、わかったこと、考えたことをくっつけて整理したいなって思います。

 

そういう、思考整理と、思考の時間。もしももしも、誰かが対話してくだされば、対話の時間も。

あとは、単純に本を読む時間も。

 

あとはあとは、大本命の卒論!!

一月からまた本格的に動き出すとなれば、早急にやるべきことでしょう。

中間発表から、ほんのちょっとしかやってないのもやばい。

終わらせますよ。

 

さて、無事にとりあえずやり切ったという感じで、12月は卒論や思考のまとめなど、基本お家でできること。たくさん雪降るみたいだし。

 

がんばろーって思っていた矢先に風邪をひきました。つらい。

結構、無理してた気がしています。

 

見学をお願いしているからこそ、絶対に体調を崩せない、という気を張っていたり。

あとは寒暖差とかね。

 

ちょうどいいので、風邪を治しつつ本を読んだり、論文進めます。

 

あと、実はまだブログに書けていないお話が結構あって。

純喫茶に参加させていただいた話とか、純飯の話とか、先生が号泣しながら部屋に入ってきた話とか笑

 

緩やかに、ほっそりと、でもちゃんとやっていきます。

 

ブログを見てくださって、ありがとうございます。

また、見学等を受け入れてくださった方々、本当にありがとうございました。

また、よろしくお願いします!!

2024/12/6 長岡市民立小中一貫校 じゆうがっこう

先日、長岡市にある、長岡市民立小中一貫校 じゆうがっこうに見学に行かせていただきました。

 

先月、ちょうど市民立の瀬戸ツクルスクールを見学させていただいて、自分の教育観がまたさらに広がったところで。

自分が就職する県にそういった市民立学校があるということに驚き、急遽連絡させていただきました。

 

そもそも、市民立小中一貫校になったのはちょうど今年の1月からで。

とても良いタイミングで見学させていただけたなと思っています。大変感謝です。

 

また、施設の見学だけでなく、そこの代表者の方ともお話しして。

お話を聞くだけでなく、色々対話という形だったこともあって、私自身も今までの学びについて振り返ることができました。

 

では、振り返りを。

 

まず、市民立ということで、学費としては無料。

お金を受け取るときは、寄付かイベント等で大人の方にワンコイン、といった形。

瀬戸ツクルスクールの時も感じましたが、やはり無料である、ということは相当大きい。

難しさも確かにあると思うのですが、無料だからこそ、そういったお金の面で人を選ばないのが良いところだなと思います。

 

子ども食堂とも連携されていて。

でもただの子ども食堂の意味ではなく、地域密着で学校に苦手を感じる子供達のための子ども食堂。そういう子たちにもつながりを作るための場所としても。

 

やはり現場の話を聞いても、公立の学校に行くのが当たり前の世の中で。

まぁ公立、というよりも公教育の場、でしょうか。

 

その方式に合わない人は増え続けている。

実際に長岡市不登校数が500人ほど。

でも、おそらくそれは明確な定義に則った場合で、本来それに近い状態の子どもたちは倍以上にいる。

 

そういう現状を受け止めて、どうしていくのか。

私自身、まだまだ自分の採用された県や自治体への理解が甘いと思っています。

そういう面を含めて、まず現状把握、分析が必要だなと感じます。

 

代表者の方とお話ししている中で、考えさせられる話がありました。

 

代表者の方の考え方として、「お金を稼ぐ、自分で仕事を作る。それが幸せにつながっていく」という考え方。

 

でも、今、その幸せを作る能力は大人から欠けているのではないか、ということ。

 

この考えには、非常に共感しました。

 

最近の学びなどを照らし合わせて、以前のフォーラムでもお話ししたように。

今後の社会への展望として、社会がより多くの幸せのモデルを作っていくことが大事になるのではないか、という予想。

 

そのためには、まず大人が幸せとはなんであって、自分はどう生きていくのかを考える必要がある、とも。

そこで、教員は、一つの幸せ、生き方のモデルとなって、子供達に実際の姿を通して伝えていく役割が果たせるのではないか、ということ。

 

それと、おそらく似たような考えなのではないかなと私は受け取りました。

 

まさに、それが教育から始められるのではないか、というところに目的意識を持たれていた。

 

瀬戸ツクルスクールでは、公立の学校に通いながら来ている子はほとんどいなかった。

逆にじゆうがっこうに来ている子供達は、学校に通いながら、時々こちらに来る、という子がほとんど。

 

そこが非常に難しいところだなと感じました。

保護者の方の意識や、地域との関係性、将来性。

どこまでシステム、精度が作られているのか。

 

そういったものが強く関係してくる。

 

実際、現在存在している市民立スクールの一覧を見せていただきましたが。

愛知は非常に多く。

北陸はほとんどない。

 

そういう点でも、地域での取り組み、地域の保護者の意識というのは、なかなか変えづらいところもあり、どうしていくべきか、なんてことも考えました。

 

 

子ども食堂での取り組みについては、引きこもりの方がボランティア等に参加してくれる機会を作ることで、人とのつながりを生む。

 

そういった、人とのつながりを、多様な年齢層で提供していることがわかりました。

 

確かに、教育や地域の問題を考えていく上で。

単純に不登校の子どもたちのことを考えていくだけでなく。

どれだけ多くの方が地域に参加しているのか、ということも考える必要があるのか、と新しい視点を持ちました。

 

 

来る子供達の話を聞いて。

やはり、不登校ではなく学校に通っている。

週に何回か、来ている、という感じ。

 

それはきっといろんな理由があって。

公立のカチッとした感覚の休憩場所としてだったり。

自分がのびのび過ごせる空間としてだったり。

居場所としてだったり。

 

 

最初は、公立へ行ったり来たりってどうなのかな、と思ったのですが。

でもよく考えたら、それもアリなのか、ということに気づく。

 

私の最近の構想としてあるのは。

子供達に多様な選択肢が用意されていて。

また、選択したくなったときに行き来することができるようなそんな教育がある社会。

 

自分の学びたいこと、興味のあることができたら、それに思う存分のめり込んで。

あれ、学習が必要かも、と思ったら、今のような一条校で勉強する。

それを色々行ったり来たりして、人ともつながりを持って。

 

そういうことを、誰もが認めて、応援できるような、サポートできるような社会や地域。

 

そう考えると、一概にどちらの学校へ通う、としなくても、良い、、、のか?

ここは、もう少し考える必要があるかなとも思いました。

 

例えば、瀬戸ツクルスクールは、学習教材もオンラインの良いものを揃えているということで、公立の学校に行かずとも、学習も、自分の好きなこともできる環境が整っている。

また、高校や将来までの道筋が整えられているからこそ、安心できるというのもあるでしょう。

 

これからの学校像がどうなっていくのか、予測がつきませんが。

でも、いろんな選択肢が取れる、選択肢が準備されていることに悪いことはないように思います。

 

もっと考える必要があるところかなと思いました。まだ自分の中でモヤモヤしているので。

 

 

公教育ないでのルールの話も出てきて。

廊下を走らない、はなぜ存在するのか。

色々な学校のルールがあると思います。なぜそれが必要なのか。

そこがよくわかっていないで、とりあえず指導するのは、あまり効果がない。

 

自分も必要性を感じて、そうする必要があるから、ということをちゃんと言えるようにしたいなと思います。

 

それこそ、自分のルールや考え方への価値付け、意味付けが大切になってくるところだなと。

 

そういう、ルールを守るという話から。

最近の子供達、大人の顔色をすごく伺っているよね、という話に。

 

それは、実はよく思っていることです。

例えば、怒られる、ということにとても拒否感を持ったり。

 

実際、私もそうだなぁと思います。

そうすると、どうしたら良いか、何をしたいかという基準は、大人になっていく。

学級なら先生。

 

だから、『学び合い』の授業では、先生たちは無意識か意識的にかはわかりませんが、子どもたちのやりたいこと、やっていることを肯定している。

 

藤田先生の授業でも、笑顔や目線によって、子どもたちの行動を肯定していた。

やってはいけないことはしっかり伝えるが、やっていることについては肯定する。

だから、子供達も、どこまでやってもいいのか、挑戦できるようになる。

 

『学び合い』では、指示がない。

だから、指示待ち人間ではいられない。

自分で決めて、自分でやる。

一人でやるも、みんなでやるも、自分で選択したこと。

 

選択の機会と、それによる成功と失敗の経験が、自分が主体的な行動をとる機会を増やしていってくれるように感じます。

 

 

教育は、『人』でできている。

小中高で、いいなって思う先生、こんな先生みたいに生きたいなって思う先生って、どれくらいいたでしょうか。

 

これは、先生が幸せのロールモデルとして伝えていくという話にもつながりますが。

 

この先生の生き方、いいなぁ、って思ってもらうのが、良いなって思います。

 

そういう、当たり外れって言い方は良くないけれど。

先生との相性って必ずあって。

 

大人は、上司と相性が悪いってなったら、逃げる手段がある。

仕事を辞めたり、部署を移ったり。

 

でも、子どもたちはそれが本当に保障されているか。

上司に当たる、先生と相性が悪かったら。

 

今、学校に行かなくなったら、終わりだ、みたいに考えることもある社会で。

 

逃げ道があるのか。

 

 

そういう意味でも、教科担任制や、複数担任制、公教育外の教育の場が増えることが望ましいかなと思います。

 

 

 

市民立スクールだからこそ、学校の目的は、市の目的と一致している。

「幸せってなんだろう」って考えていくこと。

この、幸せに生きる確率を上げる、そのための教育を。

そのためには、「自己決定」が必要になる。

自分で選択していくことが、幸せにつながる。

 

だから、じゆうがっこうのアンケートも、『自己決定』に基づいた内容項目になっていました。

 

 

幸せになる、というのもいろんな選択肢があると思います。

その選択肢をたくさん社会が見せて、自分で考えられる、そういう機会を教育が保障できたらいいと思いますし。

 

話を受けて。

そもそも、そういう選択を見つけて、できたとして。

それを実行するための心と体が健康でなければいけない。

 

これは別に、体が健康じゃないから幸せじゃない、ということでは全くありません。

 

自分の選択を増やすことと、健康は繋がっている、とも思いますが。

 

そういう意味でも、子供のうちにたくさん遊び、たくさん食べて、たくさん寝ること。

健康とは何か、どう実践できるかを考えておくことも大切だし、それは学校と家庭で担っていけることでもあるかなとも。

 

 

今回も、色々お話しさせていただき、学ことができました。

他の市民立スクールにも、とても興味を持ちました。

 

自分がそういった活動をするか、と言われればまだわかりません。

ですが、まずそういう学校が近くにあることに対して安心、という気持ちがあります。

 

その上で、そういった学び方、教育もあるということを、公教育側もしっかり伝えていかなければいけないなと感じます。

 

保護者説明会等を含め、今後の社会やこれからの教育の形、どう地域とともに参画して、子供たちを育てていくのか。

 

そもそも、どんな社会なら良いか。

 

学校や学級の話にとらわれず、みんなで将来を考えていけるような、そんな話題が学校中心に巻き起こっていったら良いなと思ったり。

 

そうすると、必然的に私が一年目の保護者説明会で語ることも、決まってきますね。

 

学級開きや保護者説明会。

おそらく、授業する以外に、とっても大切なイベントが、採用直後に待っているでしょう。

どんなものがあるのか、しっかり把握した上で。

 

一年目から、後悔がないように。

 

以前の学びから、失敗も、それを分析し改善してくことが大事である、というのはわかっています。

 

大変になったり、人としてのミスは、しっかり謝ること。

学ぶ意欲を持って、思考、行動し続けること。

 

でも、ミス=後悔にはならない。

自分がちゃんと考えて、選択した物に、責任を持てるようにしたい。

 

だから、今時間がある時に、どのように話したり、対応するのか。

シミュレーションするのもいいなぁと思っています。

 

その辺は、初任を乗り越えた先輩方にお聞きすることにします!

 

 

今回は、素敵な学びの機会をありがとうございました!