今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

個と集団

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今日も今日とて面談です。

保護者の方から、お家での様子などもたくさん聞くことができる。
とてもありがたいことです。

さて、集団を見ていたとしても、個人の課題に気づいてしまう、ものでもあると思います。

ですが、個人を変えることは、できない。
できることはあるかもしれませんが、必ず、ではない。

ここがこうなったらもっと良いなぁ、と思うところがある。
そして、保護者の方ともそこで思う課題感やこうなって欲しい、という気持ちがリンクする。

さて、普通なら個別で相談したり、指導したりしていく場面なのかもしれません。

ですが、私の感覚は、常に集団。

何より、そう言った課題感を持つのは一人だけではない。

だからこそ、集団に投げかけ、集団で解決していこうとする。
こちらは、なぜ解決する必要があるのかを語る。

そういうことで、出てきた課題を少しずつ全体に語り、全体でなんとかしていこう!という気持ちを作っていく。

そういう点で、以前は賑やかすぎる、授業中に私語が目立つ、とされていた学級。

私も4月に入って、賑やかなクラスだなぁ、というくらいに思っていましたが。

授業中、なぜ静かにしろ!と言われるのか。

その背景にある、教員の思いが大事だなと思っています。

ただ自分のことを考えて、コントロールしようとするのか。

集団をより成長させるため、若しくはそれを嫌がる人がいるため。

いろんな思いがあります。

私は、賑やかなままでも、、と思ったりしていましたが、色々と指摘?ではないですが、学級を見ていただいたりした時にお話ししていただくこともあり。

ということで、自分の思っていることを伝える。

元気とうるさいは違うこと。静かに聞きたい人もいること。
先生もできるだけ短く話すから、その時は大事な話なんだと思って聞いてほしい、ということ。

結局、『』をやろうにも、語りの時に話が聞かれないと少し困るのも事実。

それを6月の初め?くらいに語りました。

毎日集団と接しているので、気づきが鈍かったのですが。
初任研の先生や、他の入教の先生方から、メリハリがついた、と言われる。

確かに、不規則な発言や賑やかになりすぎることもなく、聞く時にはしっかり聞く。活動では存分に関わりあう。

そういう姿が本当に多くなったように思います。

時間を守ることについても、先々週に話してから。
まず1分前くらいに私がアナウンスして座る。
それが先週できたので、今週はアナウンスなし、1分前に先生が静かに黒板の前に立つ、そこで気づいてね。

そういう話を今週して、早速それに気づいて声を掛け合い、時間通りに座っている状態になっている。

何も言わずとも、集団をにこやかに見渡せば、今何をすべきか、どう声がけすべきかを考えて動く2割がいる。
6割が、その子たちの声や、先生の以前の話を受けて座って待つ。
残り2割は、その姿を見て行動する。

それを、こちらは褒める。

こちら側は、特に「なぜそれをするのか?」という、教育に潜む当たり前について常に向き合う必要がある。

でも、必要なことは伝える。共有する。
その価値が、真っ当で嘘がなく、正しいことである、若しくは読まれても良い腹であれば、集団は動き、変化し、成長していく。

集団の凄さを、毎日とても感じます。

時間がかかる課題は、きっとたくさんあるし、個人が抱える課題、集団が抱える課題が見えることが山ほどある。

でも、とにかく毎日元気に、生きて学校に来てくれたこと。
そこに感謝をしつつ。

そこをしっかり考えた上で、課題があるからダメ、とかではなく、みんなで成長していける時間や環境にしていきたいなと思います。