1933
月曜日から、フルスロットルで授業や業務を行う。
面談があって遅くなったり。
見学に来ていただくための調整で、夏休みまでの授業予定を作成したりしていて、帰りが遅くなる。
疲れも、1日で溜まってしまった。
今日から教材研究や自分の授業のレベルを上げるために、自己モニターを行ったりしてみる。
自己モニターでは、自分にボイスレコーダーをぶら下げて、アイパットで授業を撮影。
見返しつつ、無駄なところを見つけ省いていく。
教材研究では、いろんな手法を授業で実践してみる中で、子供たちの反応を見つけ、記録したりしていく。
今日はいつもの社会と道徳に少し捻りを入れる。
社会は、単純なダムや水道管の学習だったのだけれど。
ダムの教科書の端に、ダム建設にあたって移住した人のお話が書かれていた。
ということで、授業を早めにまとめ、残った半分の時間で、議論の練習を。
自分がダム建設地に住んでいたら、どういう選択をする?というもの。
理由を、ダムの必要性や機能、学んだことを使って話す、というもの。
それぞれしっかり考えて、互いに意見を交流していた。
一つの話題をとっても、学習内容を定着、それを前提として新しい授業を作っていくことはできそう。
国語は要約の授業。
正直、ひらがなやカタカナの書きに課題がある児童もいるし、作文などの練習はあまりみんな積んだことがない。
その上での要約という難しい課題。
3人以上に見せて、しっかり訂正を入れること。評価することを求める。
基準を明確に。
そうすると、互いに見せあって、文章を訂正し合う姿が見られる。
教員が直接指導すると、適当に直してくることもあるのだが、友人に言われると、丁寧に消して書き直してある。
結局、その子そのことを変える力は教員にはない。
だが、集団に語り、その子を変えるために動く集団を作っていくことはできる。
面談で、いろいろな課題がまた出てきたと感じる。
でも、自分だけが解決に動いたり、個人で言っても、きっと全て変わることはない。
だからこそ、集団に、常に問い続けるのだ。