昨日、上越『学び合い』の会に参加させていただきました。
会が終わった後、本当にモヤモヤが多く、続いていました。
一つが、上手く『学び合い』を伝えられなかったことです。
『学び合い』に興味をもってくださっていた方も参加されていました。
質問があったり、討論をすることもありました。
その時、果たして自分は相手が望む回答をできていたのか。
『学び合い』を、理論として語れていたのか。
『学び合い』の考えに染まっていくと、一斉授業で行われること、教師が教えるということが主軸になって出てくる話題に対して、鈍感になってきている自分がいます。
それでは、相手に伝えられない。特に、『学び合い』を知らず、これから知っていこうとされている方には。
理論として自分自身に落とすことは必須。
だからこそ、最初に読む本(なぜ理科や座りなさい。。。などの著書)が存在し、それをゼミ生としてなぜ最初に読む必要があるのか。理論として、始まりを、どういった経緯で『学び合い』が生まれたのかが分からなければ、今なぜそうなっているのかが分からない。だから、どこまでも必要があったものなのだなと思いました。
さすが師であると。
もっと、自分も広げていけるように、分かりやすく、芯が何か。また、単純に一斉授業では何をしているのか、違いが何かも理解しなければいけないし、そのうえで語らなければ相手には伝わらないのだなと実感し、反省しています。悔しい。
もう一つは、西川純教授が引退された後の『学び合い』についてという議題。
面白かったのは、現ゼミ生とゼミ生ではない参加者の方々との意見の違いでした。
決して批判などでもなく、私自身の傲慢さ、無知、経験不足からくる思い過ごしである可能性が十分にありますが書かせていただきます。
多くの方が、教授の引退に対して、不安であるとおっしゃっていました。
そして、一人で『学び合い』を続けていくことに対して、とても大変なことだとも。
私は、正直その感覚が全く分からなかったのです。だからモヤモヤしました。
まず、私たちのゼミは、私たちゼミ集団で運営していて、そこに教授は関わってきません。本当に、全く。
そして、私はそれこそが『学び合い』の形であり、学級のモデルだと思っています。
というか、そうだと思って研究室に入りました。
そこに入れば、身をもって体験できるから。
実際、すべて自主運営です。262の法則が確かに存在し、それは流動しながら活動を企画していったり、日常を過ごしていきます。
それが、私にとっての『学び合い』で作られた集団だと確信しています。
だから、教授が引退後でも、変わらないと。そう思うのです。
だって、今でもまず頼るのは、ゼミの仲間です。『学び合い』のやり方も、ゼミの人に聞いて、ゼミの人の動画を見て、実践しました。そこに教授は加わっていない。
だから、まず「一人で『学び合い』をすることは大変だ」と言われたとき、よくわからなかったのです。そのためのつながり、そのための会ではないのかなと。
最初から、一人でできると思っていません。けれど、同じことをやっている方々とつながっているから、できるのだと。そう思うし、実際にゼミで経験するからこそ、出てくる感想でした。
それに、『学び合い』は、学級のモデルにはとどまらない。
西川純教授が『学び合い』でいう教師ならば、全国の『学び合い』の実践者は学級でいう仲間に当たるはず。
『学び合い』で、先生に質問することを。仲間ではなく教師とつながろうとすることを、先生はやらないような気がします。むしろ、教員は有機的な集団を作るための上司。
であれば、本当に有機的な集団であれば、教員に助けを求めないはず。そして、先生がいなくても不安を感じず、仲間と協力するはず。
でも、それが全国の『学び合い』の会で考えると崩れている?ような感覚でした。
『学び合い』のモデルで考えるなら、どこまでも『学び合い』の考え方でできるはず。
新規参入者も、新しく入ったゼミ生を温かく迎え、気づいたときにはゼミに染まるように、仲間に頼れるように、『学び合い』のグループに入るはず。
上位2割が気づき、動く。そうでなければ、そもそも教員自体誰一人見捨てないということは不可能なはず。
だから、どこまで行っても、あまり不安に感じないのは、仲間がいるということ。本当にすべて『学び合い』なのならば、教員がいなくても進行する集団であるはずだと思っているからだと。
けれど、やはりこれは自分の無知か、経験不足か、それとも、本当に現場に出たことがないからこそまだそんなことを言っていられるのか。
ずっとモヤモヤしています。
誰かと話したい。
自分は今、正しい方向を向けているのか。驕っていないか。何が足りていないのか。
まぁ、全体的に足りていない。もっと考えて、勉強しないといけないなぁ。