先日、『学び合い』城北だいこん会に参加させていただきました。
ハイブリット開催で、オンラインとオフラインで繋ぎ、参加者皆さんで話になって話しているような感覚でした。
私はオンラインで参加させていただきました。
今回の会では、改めて誰一人見捨てないとはどういうことか、ということを考えさせられたような気がします。
今回の学び合いでは、主催者の方の教え子の方も参加され、当時の『学び合い』の様子を教師目線と生徒目線両方でお話を聞くことができました。
お話の中でまず印象に残っているのが、『学び合い』をする際に、生徒はどんなことを考えているのか、ということです。
主催者の方の印象では、来られていた方はおそらくイノベーター、アーリーアダプターに含まれる層の方であり、その方のお話はとても興味がありました。
一つ、「大変だった」というお話もありました。
けれど、長いスパンで見た時の繋がりという観点では、同窓会などであったときは、
「久しぶり〜」というよそよそしさはあまりなく、普段の授業のように、普通に会話に入ることができるようで。
そういう点で、広いつながりを保証しているようでもありました。
『学び合い』が、イノベーターやアーリーアダプターのような2割に対して、クラスの押し付けにならないよな、そんな語り、価値づけができるといいのかなと思いました。
話の途中には、教師間のコミュニケーションの話題も出ていて。
職員室の雰囲気や人間関係の構築という点でも、それぞれ若手が抱える悩みやベテランが抱える悩み、多種多様であり。そういったことをまず初任者になる前に聞くことができたのが大きいと感じます。
参考になったのは。とにかく「共有」を大切にすること。
情報共有を、小さいことから大きいことまで行い、なんでも言えるようにしている状態、みんなが知っている状態にするのが良いということでした。
そのためには、単純に会話の質よりも、会話の量、それも短いフレーズでできるだけ多くの会話。
こういった情報共有、コミュニケーションをとっていくことが、クラス間の連携になったり、トラブルの対処になると感じました。
よくゼミでも言われることとして、「職員室で居場所がなくなった時、教員をやめる」と。
たくさん、自分からもコミュニケーションをとり、わからないことを聞きながら。
まずやってみること、関わることが大切なのかなと落とし込みました。
また、長い目で見て若手を卒業した後には。
自分のできることを後輩のために、少しずつやっていく、関係性を作っていく。
そういう視点も、大切だなと思います。
会に参加されている方々は皆さん教員としての大先輩です。
お話を聞くことで、私がこれからしていくかもしれない苦労、必要なことをどんどん知ることができます。それが、今一番の、「教員一年目を乗り切るサバイバル術」なのかもしれません。
最後には特別支援学校でのお話があって。
じゃあ、誰一人も見捨てないってなんだろう?って。
自分が持つ学級で、誰一人も見捨てないことを語ることはできるけれど。
その枠組み、学級とか。
あと、自分が認識できる枠組み内でしかそれを語れない。
じゃあ特別支援学校では『学び合い』ができる?
そもそも、なんで特別支援学校ってあるんだろう?とか。
本当にインクルーシブ教育とか、共生社会なんていうなら。
なぜみんな、一緒にやらないのか。
どこまでが必要な支援で。
どこまでが本当は、集団なら、子供達ならカバーできる範囲なのか。
でも、命に関わることもある。
それに、枠組みを広げていけば、紛争地域の子供達はどうなのか。
そんなことまで考えていまう。
でも、まずは自分の学級の子供達のことから何ですが。
いずれ、みんなが少しでもそんなことを考えて、
「やっぱり誰一人も見捨てちゃダメだよね、」
なんて考える人がもっと増えたら、すごく素敵だなぁと。