昨日、上越『学び合い』の会に参加しました。
その日はそれまでに二つの『学び合い』の会に参加していたのもあり、結構クタクタの状態で参加。
でも、なんだろう。このアットホーム感。
戻ってきたなぁっていう感じ。
そして、やっぱり不思議なことで。
そういった会に参加すると、つい最近知ったこと、学んだこと。インプットされたものを、アウトプットするための場が偶然訪れる。
上越『学び合い』の会も、午前中で学んだ自由進度学習や、『学び合い』ってなんだろうっていう考え方、それらをより深めるための場になりました。
上越の会では、二回のフリートークの時間があり、それぞれのメンバーでお話ししました。
一回目の話では、ウェルビーイングと部活強豪校という話題があり、生徒達にとって、学校での居心地、楽しさというものがどういうものなのかということについて考えました。
部活強豪校の雰囲気は私は体験したことのないものでもあり、礼儀等の人間性の側面の充実が学校教育全般で図られているというイメージがあります。
ハードな部活メニューをこなしていく中で、子ども達の楽しさ、充実感、息抜き。
そういったところがどこにあるのか、だったり、そういった学校において『』はどのように働くのかといったことを考えました。
また、外国籍の子ども達が学級にいる際、どのような関わり方をするのか。また、子ども達同士の会話、関係性はどのように変化していくのかということにも興味があり、そういった子ども達がいる学校のお話を聞くこともできました。
今後、そういった子ども達が学級を占める割合も多くなるのではないかというふうに考えています。
そういった変化に教員としてどう対応していくべきか。
また、私だけでなく、子供達はどう変化していくか。
そういったところも見てみたいなぁなんてことを考えながらお話を聞いていました。
二回目のフリートークでは、実際に『学び合い』をしていく上で、悩んでいることについてグループで話し合いました。
グループが固定化されてしまう、というのは、『学び合い』ではよくある悩みだと思います。
また、実際課題達成、みんながわかるということは達成されていても、どうしてもグループ固定化されているのが目についてしまう、なんてことも。
私が考えていたこととしては、やはりミッションの内容、なぜ新しい人と繋がっていくことも大切なのかというところを語れるかどうかかなぁなんてぼんやり考えていたのですが。
実践者の方々は、例えば声がけの工夫であったり。そもそも、動いている子もいるんだけど、そうじゃない子供に今目がいってしまっているのではないか、という話もあり納得。
確かに、『学び合い』では、子供達のできるところ、できたところをたくさん褒めることが大事です。ですが、教員の焦り、うまくいっていなさをできていない側面だけ見て考えてしまうということもあるのかもしれないと気づきました。
まず頑張っている子に気づき、褒める。
そのためには、集団をよくみる。子供集団が有能だと捉える。
そんなことが大切なのかなぁなんて思います。
また、『学び合い』をずっとやっていると、1時間やるのが窮屈に感じる、、なんて話も。
だから、時間割に縛られない実践をされている方もいらっしゃって。
あ、これ。お昼に習った、自由進度学習では!と思って。
それはもう、教科を飛び越えた自由。進度も教科も、場所も、人も。
『学び合い』ってなんだろう?これが守破離の破とか、離の段階なのかな?
じゃあ語りとかってどうなるんだろう?教科についてじゃないよなぁ、とか。
それに、次の年への不安もあったり。
『学び合い』のセオリーを離れた『学び合い』。
自分の中での、授業レベルの『学び合い』の理解も。
少しずつ崩れてきている。
悪いことではない。子供も多様。方法も多様なんだなって。
じゃあ授業レベルでの自分の核はどこにあるのか。
そんなものを探してみる。