昨日は、上越『学び合い』の会に参加させていただきました。
テーマとしては、
①子どもたちへ希望や夢を語るためにしていること
②なぜ各教科が必要なのか
③人と繋がるために大切にしていること
の3本でした。時間の都合もあって、自分がお話しさせていただくことができたのは、①と③でした。
〜会での雰囲気や印象に残ったお話〜
現職の教員の方が多い中で、『学び合い』を実践されている方が今回は多かったような印象を受けます。その方々のお話を聞いている中で、今回面白いと思ったことが、
「教職に対して、とても楽しいイメージを持っている」というところかなと思います。
子供達と関わることが楽しい、子どもの成長がわかる、ということが多かったです。
何より、先生方が自然体で授業していることが伝わってきました。
子どもたちは先生のことをよく見ている。
『学び合い』での語りは、自分の願っていることを伝える必要がある。
そこに気持ちが乗らなければ、動くイノベーターやアーリーアダプターに通じない。
マジョリティも動かない。
だからこそ、どこまでも自然に思えること、願えることが大切になると思うのです。
そういう点で、参加者の皆様がすごく自然体で授業に取り組まれていることを感じました。
子供達に対して、無理をしていない、という感覚を受けたからでしょうか。
わからなかったり、できなかったら謝る。
してもらえてよかったことには、感謝を伝える。
人として当然のことを、当然にやることが、子供達に一番伝わる。
顕著に出ているのが、先生同士のコミュニケーションのように感じます。
先生同士が、楽しそうに会話しているか、挨拶を交わしているか。
助け合えるような関係性に見えるか。
結局、自分ができないこと、やろうとしていないことを子供に語ったところで、
「いや、できてないじゃん」と言われる。
当然、響くわけがない。
だから、語りは、自分に対しての語りでもあって、縛りでもある、ように思います。
縛りになるかどうかは、それを自分にとっての幸せであるかどうかをちゃんと理解して落とし込めているかどうかで変わるとも思います。
現場の先生方の、今回はすごく前向きなお話がたくさん聞けたのがすごくよかったところです。
『学び合い』を通して、子供たちの行動の変容だったり、自主性が育まれたり。
そういうのが素敵だなと思います。
お話の中には、外国と日本を比較して、自己肯定感について考える機会もありました。
それは、学校か、家庭か、民族的なものか。
そういうところから、子育てという視点を持つことも面白いなと感じるようになりました。
また、子供たちの「自立」という視点において。
どこまで教員が関与するべきか、というお話も。
すごく難しいテーマだなって思います。
西川研究室では、それこそ、集団で解決していく、ということを求められる。
個人の自立、にも結局繋がっているのだけれど、メインは集団の自立のようにとらえます。
これも、後ほど。
<自分の考え方>
今回の会を振り返ってみて、三つのテーマについて、考えてみました。
また、話題で出た、「自立」という視点。これは、自分の軸でもある、「教員がいなくても、自立した集団を作ること」に通じる部分だと思っています。
①子どもたちへ希望や夢を語るためにしていること
実際に、私が教壇に立っているわけではないので、今後の話になりますが。
結局、今のゼミでは、師の姿を通して、自身の幸せについて何か考え、そのための方法、生き方を考えているように思います。
だからこそ、きっと自分も同じようにするのかなぁと思ったり。
ワークライフバランス。よく言われる言葉です。
教員になるために、ずっと頑張ってきた、というのもあります。
でも、教員というのは、どこまでも職業である、ということも忘れたくない。
仕事、というのは、お金を稼ぐ手段であるということ。
だから、その先。
お金を得た時に、どう自身の幸せについてつなげるかということが大事だなと思うようになりました。
教員をやれたら、幸せか。その職につけたら、幸せか。
以前は、そう思っていました。
でも、考え方は少しずつ変化してきていて。
だから、ライフの部分がすごく大切だなと思います。
家庭なのか、趣味なのか。色々人によって異なると思います。
でも、自分の幸せが確立されていて、そういう状態で胸を張っていられなければ、
少なくとも子供達には語れないような気もするのです。
集団を明るくする人が、率先して明るい雰囲気を醸成するように。
幸せについて考える集団は、幸せを考える、体感している人が大事かなと。
真似するように、とは言わないけれど。たくさんの道を、可能性を示せるようにしたいな、と思います。
②なぜ各教科が必要なのか
これは、今回お話しすることができなかったテーマです。
教科の必要性。
どの教科も、面白いし、どこかしらの、誰かの役に立っている、とは思います。
でも、全員が全員、学ぶ必要があると思ってもいません。
よく、師の本でも出てきますが。
筆算についての話がありますね。ここ最近、筆算したことがないということ。
計算は、電卓機能や自動決済が行うこと。
現に、人の労力をどんどん減らしていくように時代が変化してきていると思います。
だからこそ、万人に必要な能力というよりも、特質して自分が磨くべき力というのが、あるとも思います。
それこそ、万人に必要な力は、「誰かの力を借りて、自分の課題を達成する、つまり助けて、が言えて、人の力を借りることができること」だと思っています。
そうすると、各教科の必要性は、人によって異なる。
今の大学制度が崩壊すれば、合わせて小中高の学び方も異なってくると思います。
③人と繋がるために大切にしていること
これは、自分にとって三つです。
・とにかくそういった場に気の赴くままに飛び込んでみること
・人との出会いを大切にしつつ、でも自分の感覚も大事にすること
・自分の軸は持ちながら、話を聞くときは常にフラットな気持ちで。
ということを大切にしています。
自立について。
今回の問題では、先生が介入しすぎることによって自立できないのではないか?といった話題から生まれたものです。
自分はこのテーマに対して。
これも、また人それぞれだと思います。
介入され過ぎたからといって、自立できる人はできるし、できない人はできない。
集団である限り、そうだと思うのです。
そうすると、自立できる人が増えるには、ということを考えた時に。
集団の問題であるなら。
・自立したくなる集団
・選択が伴う集団
・責任が伴う集団
これが、自立につながるように思います。
結局、自分で選択して、その責任が、自分の身にかかるということ。
それを体験することが、自立することに近づくように思うのです。
自分たちで決めた学級のルール。
自分たちで選択したからこそ、自分たちで守る責任が生まれる。
授業でも、そうだと思います。
わからないこと、わからないままでいること。わからない人がそのままでいること。
それに対して、集団が考えていく必要性があると気づくこと。
そういった、積み重ねが、自立した集団につながっていくと思います。
自立した集団は、個になっても自立し続けるか、というとわかりません。
でも、その個もまたどこかの集団に入っていくので。
そこで、自分の経験が生きていく。
そんなふうに思います。
だから、子供たちに、たくさんの選択の機会を持てるような環境を、
自分たちで決めて、自分たちで行動して、自分たちで反省して、
そうして集団として成っていく環境を。
教員として整えてあげられるようにしたいなって思います。