今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

実習小話6

二刀流。

 

『学び合い』と一斉指導。

両方から挑戦してみた実習。

 

それぞれ、感じることがあって。

正直、生き方のレベルに落とし込んだ、ホモサピエンス的な『』であれば。

授業の形式の『』だろうと、一斉指導だろうと。

軸が大切で、ブレずにしっかりできるのですが。

 

授業レベルの話をすると。

『』と一斉指導は、あまりうまく馴染まないなと感じました。

『』の授業を行う目的が、自分にとって、学級経営、一生涯のつながりを作る、そういう集団を作るということが目的であって、教科学習について視点が向いていない。

 

逆に、一斉指導の形ならば、教科に視点が向く。

面白い発想、一律に教えるべきことをしっかりと押さえて教える。

 

 

最初は、『』と一斉指導のハイブリットを、なんてことも考えて授業をしたんですが。

どうにもやはりうまくいかない。

 

その原因として、一つが子どもたちに任せる時間が減少すること。

それによって、本当ならば、一番活動が活発化してくるであろう残り10分の時間を、作ってあげられない。最初の解説に時間を割いてしまう。

 

数分の交流も、確かに眠気覚ましや、一定の人間関係を作る上では、効果を発揮したと思います。

自分の考えを整理し、相手に伝えることは、やはり勉強になる。

 

 

ですが、全部任せる、ということ。

これは、他と変えることができないと思いました。

 

まず、子供に信頼が伝わるということ。

また、40分、45分、どれも見逃すことのできない変化が起きていること。

その変化が、削られてしまうことになる。

 

 

実際、ハイブリットでうまく実践されている方もいらっしゃるかもしれませんので。

これは、批判ではなくて、自分がやってみて、自分では不可能、あまりしっかりとした効果を保証できないなと感じたことです。

 

 

そこで、話が出たのが、二刀流。

 

ハイブリット、とは自分の中ではイメージが違う。

 

二本の武器があって、どちらを使ってもいいし、どちらも使える状態。

 

『』と一斉指導。

学級経営の軸と、教科教育の軸。

 

両者、混ぜようとすると、もちろんメリットもあるけれど。

どこかで、お互いのメリットを潰しあうところもある、ように思いました。

 

だから、どっちも磨いて、どっちかを出す。

 

 

それに、一斉指導、教科教育を突き詰めていくと。

子供のつまづきが、過程が見えてきたりする。

教科の面白さも、見えてくる。

 

そうすれば、教科書の例題だけでなく、自作のワークシートなどを作成して、『』もできる。

 

課題が洗練されていけば、『』における子供たちの動きも洗練されていく。

 

だから、どっちかにこだわって、どちらかしか選ばないのではなくて。

どちらも備えておいて。

 

それで、どちらかを出す。

 

師は、今でこそ、ゼミは『』だけれど。

一斉指導も上手い。

 

いろんな視点を持って、いろんなことを考えたい。

 

 

けれども。

どちらも、というのは、やはり欲張りだし、難しいのは。

昨年度の経験や、授業見学でわかっている。

 

だからこその、自分の軸。子供たちへの願い。

 

 

「先生がいなくても、自立した集団」。

 

気持ちは、『』、学級のこと。

 

自己を見つめて。