今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

願えるか。

時々、考えることがあります。

 

自分は、他人の幸せを願えるのか、ということを。

 

塾でも、そうですし。

今後教員になって。子供たちの将来の幸せを考えたい、願いたい。

そう思っています。

 

けれど、本当に自分にできるのか。

 

こんなことを思います。

全く知らないおじさんが、電車でたまたま隣の席になりました。

関わりもない、何も知らない。

確かに、その人が幸せであって欲しいか、不幸であって欲しいかと言われれば、幸せであって欲しいと思います。

 

けれど、その人が幸せになるために、自分が何かできるわけではない。

そうやって、他者に対して何かできるか?いや、何もできないのではないか?と考えていくうちに。

 

やがて幸せを考える範囲がすごく狭まってきて。

最終的には、自分の幸、不幸しか興味がなくなっているのではないか。

 

そう思ってしまうのです。

だから、教員になっても。仕事にも慣れて、気づいた時には。

楽をする方向、自分が幸せになることだけ考えていて。

本当の意味で子供たちの幸せを願うことができないのではないか、そんな不安があります。

 

自分も幸せで、相手も幸せなのが一番いい。

それはわかります。

要は段階があって、

①自分が不幸

②自分だけが幸せ

③自分も相手も幸せ

 

①と②にも、すごく大きな差がありますが、②と③にもすごく大きな差があるように感じます。自分の幸せについては努力できても、相手の幸せを見据えてさらに行動を重ねたり、自分を律したりすることも必要になる。

 

わがまま、であるのだとも思います。自己中心でもあるとも。

③である人間になりたい。

 

でも、そのためにはまず自分の幸せも考えなくてはいけないし。

 

実際に生活していく中で、そんなことを考えると。特に③であろうとすると。

体力も、精神力も。全然足りていない。

モヤモヤと。悩んでいます。