自分が先生になりたいと思った原点はどこだろう。
今日の上越『学び合い』の会にて。
現状、教員になる人の数がどんどん減少していると。
そんな中で、なぜそれでも教員をやりたいと思うのか。
そもそも、なぜ教員になりたいと思ったのか。
考える。
面接でも、教員になりたいと思ったきっかけはなんですか?と聞かれることがある。
それ用の回答は持ち合わせているが、それがきっかけ、とは明確には言えない。
きっかけ。
教員になるという点で、人生で一番影響を与えたのは、やはり中学校での職場体験学習だろう。
複数あったカテゴリの中にあった「教育」というカテゴリ。
その中でも、保育園や幼稚園という選択肢が8つほど並んでおり。
唯一あったある地元の小学校への職場体験を希望する欄。
確か、カテゴリしか決められなかったような気もする。どこに行きたいか、までは明確に書けなかったような。
でも、自分は教育の欄に丸をした後、「〇〇小学校」と書かれているところに、ぐるぐると、真っ黒になるまでまるで囲んだという思い出はある。
その気持ちで、小学校に行かせていただいて。
おそらく、実質一週間の教育実習のようなものだった。クラスに配属させいていただいて、子供達と遊んだり勉強したり、給食を食べたり。
あとは、事務室のお手伝いをさせていただいたり、最後の戸締りのお手伝いをさせていただいたり。
本当に恵まれていて。そこで明確に、自分の人生を決定したんだと思う。
けれど、そのアンケート用紙に答えたくらいだから、それ以前からなりたいと思っていたということだろう。
それは多分、小学校が、自分にとって原点なんだろうなと。
総合では、今から考えれば今ゼミで行われている『学び合い』のような形式で授業をしていた。
卒業発表会なども、自分たちで考えて、劇を作ったり。
そこで、リーダーとして教員がいなくても。教員のポジションに立ってまとめていたりしていたのが、一つのきっかけなんだろうなと思う。
あとは、大好きなアニメ、「暗殺教室」から学んだり笑
中学校では、逆に教育に対して疑問を持つことも多かった。
なぜ、わかることを長々教えるのか。なぜわからない人、困っている人が平気でおいていかれるのか。
そんな中で、隣の子に数学を教えて喜んでもらえた、という経験が自分の教員を目指す方向性を決定づけたと思う。
高校でも同じことだった。わかる授業が時間の無駄に感じて。
逆に、授業を諦めていく友人の姿もあって。
じゃあ、先生は誰に向けて授業をしていたんだろう?っていう疑問に当たる。
そんなこんなで。
嬉しかった記憶と大事な経験。そして現状への不満。
それが、原点なのではないかなと自己分析。
でも、いろんな道はあったなとも思ったり。
小さい頃は、白バイ隊員のお兄さんになりたいと思っていたし。
バドミントンを頑張っているときは、バドミントン選手。
小、中、高でも考えていたことだけど。
教員か、医者になりたいなとは考えていた。
小さい時から、どちらの職にも本当にお世話になっている。
医者への道は、血とか、内臓とか。そういうのが、、、。
こう考えると。
夢とか、幸せへの道っていうのは、意外と転がっていることが多くて。
単純な憧れとか、興味とか。
だから、転がっているそういったものを見過ごすんじゃなくて。
少し立ち止まって大事に抱えてみるとか、通り過ぎたら、思い出して持ち上げてみるとか。
そういうのが、将来を考えていく上で大事なんじゃないかなぁ。と思ったり。