教育実習二日目。
初の授業を終えて。
昨日のブログの通り、すべてが崩れたといってもいい初授業。
指導案の内容も一通り何とか終えてた。
けれど、すべてが想定と異なっている。
大学生相手とは当たり前だが訳が違う。
まず、教え方がいいとか、話し方が良いとか、板書がどうとか。
そういう次元じゃない。
そもそも、話が、授業が通用しない。そんな巨大な相手と戦っているような気持ち。
あぁ、もう、やはり自分の知っている授業では。教員としておそらく妥当だと言える授業では。全員達成も、全員が幸せになるような学級経営も。不可能。
許可をいただいて、授業動画を撮影させていただいた。
そこには、大学の模擬授業どうりに、いやいつもより子どもたちの声を受け入れ、授業する自分の姿があった。
それと同時に、写るのは子どもたちの姿。
別に授業が失敗したわけでもない。子どもたちは楽しんで授業を受けていた。
けれど、なぜだか漠然とした不安、嫌な感じが残る。
その正体こそ、「全員」という言葉の本当の意味。
授業の進度に合わせて、切り捨てたともいえる子もいた。
拾えない発言も何個もあった。
子どもたちのつながりを、阻害こそしている。学びを、妨害している。
全員達成を、教員が自ら消し去っている。
私は、全員達成できる方法を、みんなが幸せになるための方法を知っている。
だからこそ気づいてしまう。そうでない方法をとっている自分の情けなさ、それを強いてしまっている申し訳なさ。
それが心にどんどん渦巻いている。
まだ、一斉授業は続く。私は、ここから少しでも子どもたちに良い学びの場を提供できるのだろうか。
するしかないからこそ、まだ考えなければいけない。作らなければいけない。
崖っぷち。
でもきっと、本当に子どもたちの幸せを願うからこそ、自分を苦しめて、家族も苦しめて。そうして負のサイクルが回ってくのかもしれない。