12/30 一日過ぎてしまったが、昨日の振り返りをしたい。
昨日は、高校からずっと仲がいい友人と、勉強会を行った。
どうしても、年末となるとだらけやすいということを自覚していたので、
勉強しようと誘われたときは即答だった。
各々、学部も違う・方向性も異なっている。けれど、志を持って何かに取り組もうとするところ、新しい情報を柔軟に受け入れようとする姿勢があると思っている。
だからこそ、私は教育的な、子ども中心での視点で会話を広げ。
友人は、企業、社会中心の視点で話を広げる。
私自身も会話や勉強を通して、多くのことを学ぶ。
今回は、溜まっていた課題を消費したり、数学の勉強をしたり。
友人はレポートをまとめたりしていて、やっていることは全く別だけれど、休憩時間にはいろいろな話で盛り上がる。
結局、深夜2:30くらいまで話していたというのもあって、16時間の勉強会。
そもそも、そんなに遅くまでかかってしまったのには、私に理由があったりする。
私が最近抱えている悩み。それを共有して、一緒に考えてくれたからだ。
三年生になり、いろいろなことを考えるようになって。
自分の将来とか、先生になった後とか、社会のこととか、恋愛のこととか。
今回、話の中心になったのは、思考のベクトルが向かう先。一言でいえばこんな感じだ。
話しの発端は、恋愛の話から。
人との関わり方について考えていく中で見えてくる、異様なまでに他者との関りで気をつかっているという感覚。
気を遣うというのは、まぁ敬語だったり、話し方だったり雰囲気だったりというのもあるが、今回焦点が当たったのは相手に対する不安感。
簡単な例でいえば、「相手を遊びに誘う」という行為に対して、すごく不安感を持つということだった。相手が誘われて、嫌ではないか、我慢してのってくれているだけではないか。
そういった考えが出てくるため、人を遊びに誘うということを今まで避けてきているということに気づいた。
友人は、「自分がまず楽しくなりたい、楽しくいたいから誘うし、そこで相手も楽しくさせるくらいの気持ちで。」ということを言っていて。けど、よくわからない不安感がその感情を邪魔しているように感じた。
そこで話題は、私の自信のなさ、自己肯定感の低さ。それが関係するのではないかという話に。
自己肯定感。その低さの原因がどこにあるのか。友人と話しながら明らかになっていって、それを克服することができた。それについて、もうすでに長いが、告白しようと思う。
私の自己肯定感の低さの原因は、恐らく中学二年生の生徒会選挙がきっかけだと思う。
私は一年生の時から級長をやっており、生徒会選挙の時にもその話が回ってきた。
当時、私たちの学年には生徒会長になりたいという人がおらず、立候補を行えばすぐなれてしまうような環境だった。
会長にという話は、先生や級長会の中でも出ていたと思う。しかし、当時の自分は会長を別の人を立てる代わりに、自分は副会長になると決め生徒会に入ろうとした。
今までの級長としての働きだったり、先生からの信頼だったり。
失敗などあるはずがない、副生徒会長になって、どう学校を変えていこうかということも考えていたと思う。
結果は落選。
意味が理解できなかった。
その年は、同学年からは誰も立候補がおらず、一年生から4人ほど候補者が出るという異例な状態。もちろん、毎年2年生が選ばれることがほとんどであり。そういった点も私が選ばれると自信を持っていたところの一つだったと思う。
その年の演説は、今までと少し雰囲気が違った。
私が一番初めに演説を行った。自分で言うのもなんだが、優等生といった、いかにも生徒会やりますよといった演説だったと思う。原稿も見ず、学校への熱い思いを伝えたと思っていた。しかし、二番手の一年生が演説を始めるときには、少し違っていた。
一年生は、「右を見てください。上を見てください。このように私は人を自由に操ることができます。」と言っていた。会場では笑いが起こる。
そのまま、内容は、あまり覚えていないが、それなりの演説をしていたと思う。
私の内心では、笑いを取る演説なんて。学校のことを本気で考えているのか?と、自分は受かるだろうと。そう思いながら他の人の演説を聞いていました。
そして、その彼に負けたと。実際、一年生が副会長として当選していたのはあまり聞いたことがなく。
しかし、理解ができなかった。どうして?という気持ちでいっぱいだった。完璧だったし、やる気もある。なんで落ちるのだろうか?と。
実際は、同学年からはほとんどの票が。一年生からも半分ほど入っていたと後に聞きました。なおさら理解できなかった。ならばなぜ?と。
そこで、選挙が終わって登校した朝、下駄箱で、ある三年生たちのグループの声が聞こえてきた。
「あいつ面白かったよな。あいつでいいか。」「それな」
といった会話。
あぁ、何とか学校を良くしたいとか、みんなが楽しめる~とか。そういうのじゃなくて。
そっちをお前らは求めるのか。
そんなことを思って。そこからは、二年生の残りの生活。ずっとすべてに反抗していたと思います。授業も受けず、活動にも非協力的。
しかし、それだけでは終わりませんでした。
私は、自分に実力がないからそうなったのだと。実力はあったけれどそれに気付けない人がいたから表をもらえなかったと。そもそも、自分には力がある、完璧だと思い込んでいた、熱い気持ちがあるから落ちたのだと。
昨日友人と話していて。私は、大きすぎたショックを「自分の力のなさ、周知できなかったせい、そして自分に力があると思い込んだから。」という一か所にまとめて、押しとどめたのだと思います。
その後、自分には実力があることを証明しようと、意図的に生徒会執行部に立候補し。
級長会や実行委員長を掛け持ちすることで、その副会長よりも実力があることを示そうとした。
けれど。結果は何も変わらず。むしろ、いろいろな人との関係を悪くしたり。
最終的には、自分自身を壊すようなことになっていきました。
そこから、ある核が形成されたと思っています。
「自分ができるとうぬぼれた瞬間から、上手くいかなくなる。」というもの。
そこから、ずっと。高校も、大学も。自分のつけてきた力や知識に対して。
それが発揮されて、嬉しいと感じたときに急速に体が冷えていく感覚があったのです。
上手くいけば、強制的に気持ちが舞い上がるのを防ぐような圧力。
それこそが、自己肯定感を常に下げ、決してうぬぼれず、安心せず、信じ切らない自分の誕生だったのかなと。
そういった背景を、友人と話しながら、理解していきました。
彼は、すごくいいことを教えてくれた。
「利己的な行動と利他的な行動について」。それが今回の話の中心になっている、思考のベクトルが向かう先についてでした。
選挙に出るまでは、利他的な気持ちで臨んでいて。
落選、過度な実力の誇示が、利他的な感情や、自己を否定し。
より自分にベクトルが向くようになったと。だから、徹底的に勉強したり、綿密な計画を立てて失敗をしないようにしたり。
けれど、それって本当は悪くないよね、と。
確かに、自分にベクトルが向いていて、それを強くしたからこそ大学にスムーズに合格したり、今の自分があるわけで。
「だったら、そのベクトルを少し外に向けてみたらいいんじゃない?誰に対してなのか、、、とか。」
その話を聞いたとき、すごくはっとさせられました。確かにいつも大事な部分が抜けていたなと。
そこで、いろいろなことが腑に落ちたんです。
まず、選挙の時。本当は、自分を責める理由はなかったのではないかと。学校のため、人のために何とかしたいという気持ちをほめて、大切にしてあげていれば。
選挙前の自分のままでよかったんだなと、やっと自分を肯定することができました。
また、今までやってきた努力は無駄などではなく。むしろ外にベクトルが向いたときに、強い力を発揮すると学びました。
そして、自分へのベクトル(利己的な感情も)、外へのベクトルも(利他的な感情も)どちらも持ち合わせていて。それらは連結して、自分の内と外に縦横無尽に向かっているのではないかなと。
誰かのためにしたことが自分に返ってきてくれて嬉しかったりするように。自分がしたい、できるようにと思ったことが誰かのためになっていることもある。
それが改めて感覚ではなく言語化することができるように至って。
やっと、自分のことを。昔の頑張っていた自分を。肯定できることができたと思います。
長い間話に付き合ってくれて、道を示してくれた素敵な友人。
今度は。今まで自分に向いていたベクトルを彼や、子どもたち、関わる人たちに向けていきたい。強く、強く。
ありがとう。