今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

一般化

模擬授業をしていて、不思議だなと感じることがあります。

 

教員が児童生徒に発言を求めるとき、児童生徒が先生の方を見ながら答えるということ。

 

何か問題を出して、それを答えるというのであればまぁ納得できる。

 

 

では、振り返り内容や、解き方のコツ、自分の意見を発表するとき、その話す向きは適切なのだろうか?

 

 

どうしても、児童生徒と教員の一対一の関係ができてしまい、クラス全員に共有するという意識があまりないように感じていた。

 

それを、ゼミ室で隣の先輩と話していた。

 

 

話している中で、たしかにいろいろなパターンが考えられることに気づく。

 

それこそ、教員が投げかけたことに対して、教員にこたえるという趣旨であれば問題がない。

それに対して、クラス全体で共有したいこと、みんなのためになることという点では、聞いてほしい人(ここではクラスメイト)の方を向いて話すことが必要になる。

 

きっと、これは教員のねらいや目標、児童生徒に達成してほしい姿によって変わるべきものなのだなと落とし込むことができた。

 

また、それは教員の授業や問いによって変わるだけでなく、その児童がどうなりたいと考えているのか、教員はどうなってほしいと願っているのか、そういったことに基づいて変化する。

 

それを踏まえて、やはり教員は人相手。それゆえに、どこまでも一般化して考えるのは難しいなと思った。

 

人間の脳的には、おそらく決まった行動、パターンに落とし込みたいと考えると思う。

けれど、実際はそれでうまくいくケースはあまりない。

 

機械のように信号が決まっていれば別だが、相手は発想の天才たちである。

 

教員も、それに対して毎年決まったことというのは維持するのは難しい。

 

ゆえに、それをどこまで楽しみ、すばらしいなと感じることができるか。

それが大切になるのではないかと思う。