今日もゼミがあり、日ごろの疑問をゼミの師にぶつける時間がありました。
私が気になった質問は、「『学び合い』を行うクラスで、生徒たちは先生のことをどう思っているのか」についてでした。
師は一言。「その質問をしたことを恥じるよ。」と。
『学び合い』とは、児童が児童とつながり、誰一人として見捨てない集団を作っていくことです。教員の役割は、適切な目標と課題、評価を行うことだけ。
本当に大切なのは、子どもたちがつながること。
教員がどう思われていようと関係ないのです。些細な問題ですらない。
どう思われるかなどではなく、有機的な集団になっているかが大切である。
私たちのゼミは、『学び合い』の最高レベルでゼミを行っています。
では、私は師をどう思っているのか。
気にしたことがあまりありませんでした。
なぜなら、有機的な集団において、特にゼミにおいて、ゼミ生とつながっていくことが本当に大切だと日々実感しています。
ですが、本当にそれだけなのです。仲間が、大切で、必要で。
でも、その仲間というくくりに師は入らない。
故に師をどう思うかも、師にどう思われるかもあまり重要ではない。
仲間とつながり、得に落とし込めるかが大切である。
本も読み、ゼミで過ごして身をもって体験していたはず。
やはりどこかに、他人にどうみられるのか気にしている節がある。
それはトラウマによるものなのか。ただの気のせいか。
しかし、だからこそやはり愚問だったなと反省するばかりです。