今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

昨日、越後『』の会に参加させていただきました。

ゼミ生として、企画、運営する場面もありましたが、参加者の一人としても、本当に学びが多い一日でした。

 

ゼミ生としては、今回全体の司会という大切な役割をいただきました。

開会式では、総勢約100名という志を同じくした方々に、正直圧倒されました。

それもそのはずで、私がこれから学び、実践していこうとしている道を既に歩まれ、経験されている大先輩が大勢いるのです。昨年まではコロナウイルスの影響もあり、オンライン開催だったと伺いました。しかし、今年から同じ場所に集まることができた。

全国から様々な職種の方々が来られて成り立った会でした。

 

講演会1ということで、フリースタイルスクールの校長をされている方の講演を聞きました。お話を聞く中で、現状の教育の壁、問題である不登校の現実、真実。フリースクールの在り方、偏見。そこで学ぶ子どもたちの実際を知ることができました。

お話を聞く中で、本当に涙が出そうになる場面がいくつもありました。本当は、可能性に満ち溢れた子どもたち。小学校に入って、中学校に入って頑張りたいと思っている子供たち。けれど、それを阻む壁があること。その原因に、教員が成りえるという事実。

本当に、悔しい気持ちでいっぱいでした。本当の意味では、教員はそれに気づく必要はなくて、けれど、それに気づく仲間を作ることが教師にとって本当に大切なことで。

けれど、それすらもできず、先生すらもその子に気付けない現実。義務教育が、逃げ場のない、心を追い詰める監獄のように感じました。

そんな子供たちが、フリースクールで本当に楽しそうに、学んでいる。自分のやりたいこと、勉強したいという素直で、素敵な心を大切にできる。そんな場があること、本当に素敵に感じています。それとは逆に、そんな素敵な姿を本来の学校が許容できずにどうするんだという気持ちもありました。

誰一人も見捨てないこと。まずは自分。その次に自分の学校。そして、国、世界の単位で変わっていかなければいけないし、自分ができることを全力でやる必要性を感じました。

「子どもも、先生もわくわくする学校」。先生が楽しそうでなければ、子どもが楽しいはずがない。先生がワクワクしなければ、子どもがワクワクするわけがない。

先生すらも、一人も見捨てず、が大切である。

 

次にパネルトークということで。

一番印象に残ったこと。それは、私の師の引退。これが想像以上に、大きいということ。私は大学に入り、師にであい、学び、実践していく意欲を高めています。しかし、私が卒業するのと同時に、師は大学を退職されます。これがどういうことか。

今回の会で集まった方々は、皆その師の考え、理論に共感し、実践されている方だと思っています。けれど、今まで実践していたことは、その師の名前を出すことで納得されていた部分もあるということ。師や最初期に『』を作り、今まで実践されてきた方々の土台があってこそだったのだと思います。これからが、師の名前を出すだけ、『』の名前を出すだけでは通じない教育現場が待っているかもしれません。自分で確固たる理論を持ち、人に伝えていけるだけの知識と、実践、経験を積む必要があると思いました。

また、同じ志を持つ人、実践されている方とつながること。これが本当に大切になってくると思います。そういう意味で、もっと多くの実践者の方とつながり、また、自分を通してつながる人がいたり。そういったネットワークを作り、更新し続けることが、自分も、同じ実践者も活動しやすい状態になるのではないかと考えました。

 

分科会では、『』リーダー論ということで、『』を持ちながら、管理職などの役職に就かれて活躍されている方のお話を聞きました。私自身、最終的には管理職になり、学校全体、地域全体で誰一人も見捨てない社会の実現のために活動していきたいという展望がありました。そのため、その方々の語る内容すべてが私に響くというか、将来の道の先を照らしてくれるような。そんな感覚でした。

ここでもやはり、教師も誰一人見捨てないことの大切さを実感。

よくゼミでは、学び合いでは教師と子どもは上司と部下のような関係性。という話を聞きます。それが、本当に校長先生と教員で学び合いをされている感じがあり、それができることのよさが管理職にはあると思いました。また、『学び合い』実践者を守るという点で、管理職の重要性が分かりました。その後個人的にお話を聞く中で、ゼミでの師と我々の関係のように管理職としてなっていく必要がある。そのためには、やはり「勉強」だと。自分は、今もそれに向かってしっかりと努力できているのだろうか。

見ているのは、一年後。でも、その先。10年、20年、30年。その単位で人生を見て、行動しなければならないと考えました。

 

講演②では、ゼミの師が登壇し、いつものゼミの雰囲気(全国ver)といった感じに。

不思議に思ったこと。ゼミの師が質問を受け、解答します。その時、頭の中で次にゼミの師が何を話すのか、ある程度分かってきたということです。すべてわかるなどそんなわけありません。けれど、ミニ師が、ささやく感覚。質問のゼミにいて。ゼミ集団の中で会話して。本を読んで。自分の中で軸が定まってきた感覚があります。

まぁ、まだまだなので、もっと学ぶ必要はありますし、あと1年半。よく考えて動かなければ。

 

懇親会では、本当に多くの人とお話しできました。

全国ということで、今まで聞いたことのない方言の方がいてとても面白い。

けれど、みんな『』に対してエピソードがあって。自然と会話が続く。

なぜなのかな?と思っていたんですが。

みんな、語るのは自分の事じゃなくて、『』を通してみていた子どもたちの姿だからだと気づきました。教員としてどう動いたかの話ではなく、子どもたちの素敵な姿について話せる。すごいことだと思います。ゼミに入らなければ、おそらく知ることのなかった世界で、出会うことのなかった人たち。

この輪をもっと強く、広くしていきたいと思っています。

 

今回の会の司会を通して、前から見る景色、後ろから見る景色、横から見る景色。

会全体を通して、全体の熱量と意欲をずっと感じていました。

司会をしていたことで覚えていただけていた方もいたり。

本当に、運と縁と。

 

次、皆様にお会いするときには、もっと学び、成長した姿として。

もっと多くのお話を聞いたり、自分ができるようになっていたいと思います。

本当にありがとうございました。