今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

実習がない一週間が始まりました。

先週までは、月曜になれば毎朝早起きをして学校に向かっていました。

今ではそれがない。

嬉しいような、寂しいような。

 

実習でのことを振り返ろうとしました。

ブログでもそれを書こうかなと。

 

けれど、意外と振り返ると言葉にするのが難しい。

学びが多すぎるということもあります。

それとは別に、言葉に表せるものではなく、心というか、脳というか、行動というか。

そういう自然にでるものとして組み込まれていった学びが多すぎて、それを取り出して言語化するのが難しい。

 

思えば、一斉授業の形式で素晴らしいものもたくさん見てきました。

その時の先生方のテクニックも。

実習生たちの頑張る姿もたくさん見ることができました。

ちゃんと学びになっていて。心にも頭にも刻まれています。

 

私の実習担当の先生は、本当に素晴らしい方でした。

私のスタイルにもとてもあっている先生でした。

 

実習に行って、本当に多くの指導をしてくださる先生がいます。

指導案と見比べて、授業の状況を踏まえて。児童の発言一つ一つを大切にしながら。

素晴らしい先生だなと思います。

 

けれど、おそらく私には合わなかったのではないかな、なんて思います。

私の担当の先生は、「多く指導することよりも、自分で考えてそこで気づいたこと、学んだことを大切にしてほしい。そういった小さなこと、けれど自分にとって本当に大切なことが積み重なることが大事だと思う。」とおっしゃっていました。

このスタイルが、本当にありがたかったのです。

多く指導されても、それはおそらくその先生のスタイル。なのかな?とも思ったりします。

だからこそ、『学び合い』にも挑戦できたし、自分で考え、自分で修正し、毎日の授業を進化することができたのだと思います。

先生の顔色をうかがう授業ではなく、最後は子どもたちが楽しく、幸せにつながるために何ができるか私自身が考えて授業することができるようになっていました。

 

この考えは、私のゼミの師の考えにも通じているなと感じていました。ノートを取る必要性について、自分の中に落ちたときはノートに取らなくてもずっと覚えていると言います。

本当にこの感覚に近い。人から言われた10ではなく、自分で悩み、考えて掴んだ1のほうが私にとって価値があると思っています。(10もとても大切です。両方捨てられるものではない。)

 

だからこそ、この実習は自分自身で考え、学ぶことができたものであったと確信しています。

そして、それをさせてくださった先生、クラスの子どもたちには本当に感謝しています。

おそらく、いち実習生に、自分のクラスを任せること、それも実習期間のほとんどを用いての新スタイルの授業形態。不安でないはずがない。

けれど、先生はずっと見守ってくださり、最後には「勉強になりました。これからも『学び合い』でやっていきますよ。」と言ってくださいました。

子どもたちも、本当に楽しそうでした。

そんな環境で実習ができたこと、本当に感謝だなと思います。

 

間違いなく、自分の中で多くの学び、決意、考え、価値観が作られました。

『学び合い』のすごさ。教員の本当の意味での楽しさ、うれしさも短い期間でしたが知ることができました。

 

実習を通して、新しい悩みができたのも事実です。

沢山の人の授業を見ました。おそらく、自分の授業以外の授業時間は、ほとんど他クラス、他学年の授業を見に行っていたように思います。

 

本当に様々です。子どもも、先生も。

けれど、きっと先生によってクラスは大きく変わるのだなと。

規律のとれた、ピシッとしたクラスもありました。

みんなで、楽しく授業をするクラスも。

どのクラスも、味があって。

 

何が正解何だろう、と悩んでいました。いや、正直今でも悩んでいるところもあります。

学級経営、そもそも教員という職業自体が深すぎる。

教員の言葉かけたった一つで子どもの行動が変化する。

学びが深まる。仲間ができる。集団ができる。

逆も然り。

 

会話の中にも、「あのクラスは~」「あの〇〇は~」という言葉も聞こえることがある。

すべて、子どもたちの行動による影響のように思える言葉。

けれど、その背景には先生がいて、保護者がいる。

だからと言って、それらの要因で子どもたちの行動が絶対に決まるとは思えない。

 

だから、きっと子どもたちは心底有能で、分かっているのだなと。

教師の腹を読む。保護者の腹を読む。

意図を把握し、自分にとって、集団にとってを考えて動く。考えていなくても、感覚的に、本能的に。

 

だから、1年生でも、2年生でも、どんな学年でも、どんな教科でも『』はできるのだなと確信しました。

 

子どもたちには本当に大きな可能性があって。未来があって。

 

 

それを、生かすも殺すも。結局大人なのだなぁと。

 

私は、子どもたちの可能性を邪魔しないために。何ができるんだろう。

もっと考えて、もっと学ばなければいけないなと思います。