だいぶ寒くなってきて、朝布団から出るのがきつくなってきました。。
別に風邪を引いたってわけではないです。
今日の数学の授業では、外部から先生が来られて、中学校で行う授業を見せていただきました。
残念ながら、その先生の一回目の講義は欠席してしまったのですが、友人たちが言うように、本当に面白い授業でした。
あっ!と驚くような発想、展開。上手いなぁと思います。
中一や、小学校内容であるはずの単元が、導入を通して中三内容まで行ってしまう。
これは、そもそも教科書、学習指導要領、子どもたちの学びの姿が具体的にイメージできていなければできない。先を見て、単元同士のつながりまで考えられなければできないことだと思いました。
圧倒的な熱量で、大学生である私たちも、盛り上がりながら授業参加していました。
自然とのめりこんでいくような、気づいたときには法則性があって、自然とペンをとりたくなるような、そんな数学の授業。
授業を受けていた人たちからは、「すげぇ、、」とか、「おぉ~!」とか。
自然と拍手が出てくるような技量。
間違いなくすごい先生だなと思って、、、
そこで、自分の感情が冷えていく感覚に陥りました。
1つはその技能と経験に圧倒されたこと。どうすれば、そのレベルまで到達するのか。
自分には、できる気がしないし、そんな発想いったいどこから?と。比べることすらおこがましいですが、一線で授業されている現場の方と、今の自分の立ち位置、展望を考えて、もっと頑張らなければ、という気持ちも。
授業後にお話しさせていただきましたが、やはり能動的に動かれているそうで。
うちの大学の一期生?らしいのですが、もう学部時代から研修会などに参加されていたそうで。
勉強会のお話や、その知識を付けるためにどんなことをされていたのか聞くことができました。
やはり大きいのは、能動的に、進んで行動すること。おそらく、数学だけでなく、すべてのことにおいてそうだと思います。そして、できる人、すごい人から知識を真似して、応用する。授業の才だけでなく、圧倒的な経験値がそうさせるのかと。
もう一つの理由は、、
やはりそれでも、分からないという人はゼロにはできないのだなぁと思ってしまったからです。
本当に分かりやすかったし、面白かった。
けれど、まずそこにいたのは、少なからず数学コースとして、数学の知識がある人達だったということ。そして、その先生のテクニックは、簡単にまねできないと思ってしまったからでしょう。
「すごい!」「わぁ~」というのは、自分にはできないというニュアンスが含まれるような気がしてしまいます。
やはりそんな授業ができる背景には、莫大な経験が必要なわけで。
全教員ができるわけではない。だから、全員の子どもは救えない。
逆に、その熱量に感化されたクラスの大半。そこについていけなかった場合。
自分は、恐らく学ぶことを諦めるんじゃないかなと思うのです。
自分だけが気づいたらその熱量に混ざれなくて。誰も置いてきぼりにしているわけではないけれど、自然と自分から身を引いてしまって。
そんなことを考えて。
けれど、学ぶことは本当に多くありました。
以前もブログで書きましたが、『学び合い』を伝えるには、一斉授業型のこと、理論もわかったうえで話す必要があると感じています。それに、能動的に学ぶこと、教科の面白さを知っていることは間違いなく無駄ではない。
今自分がたどっているのは、師の『学び合い』という形そのものではなくて、いずれ自分なりの言葉で、自分の語りでできるようになる誰一人も見捨てないクラス、社会。
それは、『学び合い』を方法として捉えるのではなく、考え方、生き方として捉え、昇華していくこと。
そのためには、今回のような、圧倒されるような授業者の方々との出会いももっとしてみたい。それこそ、本当にいろいろな授業の形、『学び合い』だけじゃない授業もたくさん見てみたいと思いました。