気づいた時には7月。
毎回、「気づいた時には○月」といっている気がしますが、本当にあっという間です。
もう少しで、1学期が終わる。夏休みが見えています。
ということは、逆に成績処理が待っているということ。
初任者ということもあり、スタートを早い段階に持ってこれたので、余裕を持てたら、、、と思ってはいるのですが、なかなか難しい。
来週も頑張っていきたいところですが。
さて、三ヶ月教員をやっていて、思ってきたこと。
知らないうちに、何かに囚われたり、縛られたり、こだわったりしている、ということ。
それらを解放したり、気にしなくなることが、実は一番近道だった、ということ。
以前Facebookの投稿でも、『捨てる』ということについて非常に納得できる投稿を見かけました。
教員になって4月。
何も囚われずやっていた時は、すごく楽しくて、自然体でした。
しかし、5月に入るにつれ、色々な現状が見えてきました。
学力のこと、学級での人間関係、実態、保護者の方、学校での業務、色々。
気づいた時には、あれもこれも『やらなければいけない』、『できるようにしなくてはいけない』と思うようになっていました。
また、それにこだわり、悩み、不安的になることも。
ですが、不思議(今から考えれば、当たり前なんですが)なことに、それに対して学級の様子や授業の様子、業務のスタイルはあまり変化が見られない。悪くはならないけれど、良くもならない、といった感じ。
どうしてだろう、と手段に色々こだわり、悩んでいました。
いろんなことを試して、時には子供達に辛い思いや大変なことをさせてしまったことが悔やまれます。
最近、宿題をやめ、自学に専念する、ということにチェンジしました。
これは、本来大学の時に自分が考えていたこと。
でも、現場に出てその慣習や謎の当たり前に従ってしまっていたものをやめたことでした。
そうすると、少なくとも宿題を「やらされていた」状態から、子供達は「自分からやる」状態に切り替わりつつあります。
10分で適当に答えを写してやってきていたのが、1時間半家庭で集中して学習していたり。
平均的に、学習時間が30分伸びることにより、1日の復習ができる時間がとれたり、自分のつまづきに向き合うことができる時間が増えたり。
結局、縛られていたことをやめて、自分のやりたいことをやる。自然体になった結果が、これでした。
思い返せば、そういうことが結構多いもの。
本当に大切にしたいことに、今こだわっていることや課題だと思っていることは繋がっているのかどうか。
本当に大切なことは、子供たちの将来の幸せです。
それに、本当に大切なことなのか。
そこを、考えていくこと。
そうしなきゃ、当然今やるべきことの価値を語れないわけです。
そのほかの課題も、色々やらなきゃ、やってもらわなきゃ、と思ってこだわっていたのですが。
実は、それが自分の苦しさや悩みの原因になっていて。
それらにこだわらなくなることで、自然と笑顔も増えましたし、学校での振る舞いも自然になっていったと思います。
気づいた時には、いろんなものを身につけて、背負い込んでしまっていた気がします。
それらに、自分が期待する本当の価値はない。
以前、『学び合い』ミッションとナチュラルの話をしました。
学力においては、ミッションが、とか、教材研究が、と思ったりも。
でも、実はその段階にすら立っていなかったのだなと思います。
生き方レベル『学び合い』は、ナチュラルの方。
教員が、自然体で教師をすること。
いろんなことに縛られて、こだわっているのでは、まずその段階にいけない。
そして、その状態になって、自分が安定してくると、学級の雰囲気が良くなっていく。
その上で、ミッションの方向に舵を切って、教材研究を楽しむのなら悪くない。
結局、そこを飛ばそうとするからうまくいかないのだなと。
何かにこだわっている間は、そこは一向に変わらず。
その意識から解放された時に、気づいたら改善されていることが多い。
そういうことに気づいてからこの一週間は過ごしやすかった。
「ああ、こここだわってたけど、別にそんなでもないよな」とか。
「無意識にこうしなきゃと思っていたけれど、別にいいじゃん」というのとか。
そういうことに気づくと、すごくやりやすくなる。
諦めとか、何もしなくなるということではなくて。
本当に自分にとってやりたいことを、楽しみながらやれるということ。
何より、自分の必要のないこだわりによって、子供達をコントロールしようとする意識が薄れるので、注意しない、怒らない。
逆に余裕があるので、褒める、一緒に楽しむができるようになってくる。
いかに、知らないうちにできてしまった価値観や囚われ、縛り、こだわりから自分を解放できるか。
自分というものを、客観的に捉えながら毎日振り返っていきたいです。