今日書くのは、自分の想像も入った内容であり、自分語りのようになっています。
すみません。
周りから、自分がどう見られているのか。
できる人、とまではいかないかもしれませんが、さすがだね。だったり、信頼できる。
と言っていただくことが時々あります。
小さいときからそうだったわけではなく、おそらく中学校の時くらいから、
信頼できる人間として、見ていただくことができていたのではないかと
自分で勝手に思っています。
おそらく、真面目な部分だったり、リーダーのような役職をやらせていただいたり、
ある程度はできることが多かったり。
そういった部分を見て信頼してくれている人が多いのだろうと思っています。
特に、いつも冷静であること、あまり大げさなリアクションを取らないこと。
これも、何か関係しているのかもしれないです。
けれど、こういった面は、すべて作っているように自分で感じます。
失敗が嫌だったり、上手くことを運びたいと思っていた性格は小学校の時からで。
だから、明日の授業でできなそうなことがあると、大体前日の夜まで自分や、家族に手伝ってもらって特訓していました。
剣道の防具を付ける練習も、イメージと家にあるものを使って練習してみたり。
壇上に立って全校生徒の前で話すときも、何度も原稿を読み込んで、練習して、聞いてもらって。
もちろん、それはテストの時も同じです。徹底的に不安要素を取り除こうとしていました。
自分が元から持っていたものは、能力でもなんでもなく、
「不安感」なのではないかと思うようになりました。
不安だから、先を読む。考える。
不安だから、できることを増やしておく。
根底の理由は、こういったものだったように感じます。
今でもよく考える言葉。
「自分が人よりできないことを知っているから、その分人より早く動き出さなければいけない。」
どこかで聞いた言葉かもしれませんし、経験から考えた言葉かもしれません。
けれど、これを常に理解しているからこそ、先に動き出せる。
先に動き出せば、その分できることも増えるし、それはいずれ信頼にもなる。
きっと「不安感」は取れない物かなと思います。ある程度自信がついた今でも、
ミスは怖いし、自分の思った通りに行かなくなって、それで誰かに迷惑をかけるというのも嫌。
だから、「よーい、どん!」の合図がなる前から、もうゴールのすぐそこまで走っているイメージ。
けど、この世界には、「よーい、どん!」で始まることはほとんどなくて。
唯一あるとすれば、それは生まれたときなのかなと。
だから、いつでも合図はなっているだろうし、いつ動き出してもよい。
でも、より動いたほうが、きっと楽しい人生になるのかな。なんて。
今日もごちゃごちゃ。長めでした。