今日はお休み最終日ということで。明日からまた実習が始まります。
今日は午前いっぱい、昨日の疲れもあり眠っていて。
午後から指導案の直し、作成に移りました。
本音を言えば、指導案づくりが苦痛です。
というよりも、教育実習に対して不安がある、と言った方がいい。
初等実習の時は、そんなことなかったなぁと思います。
理由としては、一つは『学び合い』をさせていただくことができたから、でしょう。
自分の心の持ちようとして、できていない生徒を見過ごしたまま一斉指導するのが苦痛でした。
今回は、そうではない。
しっかりと準備した上で、説明してもわからない子供達がいたらどうしようか。
どこまで噛み砕いて説明しようか。
時間はどれくらいかかるのか。
教材教具はどれが適切か。
どこまで説明するべきか。
すごく、当たり前のことですが、一斉授業は。
正直、教科書の内容をなぞる、指導書を参考に授業をする、それをやれば、本当に授業しているようには見える。
でも、「全員が」に着目した瞬間に、無難な授業では解決できないことが多くあることに気づきます。
それは、やっぱり名人レベルの作り込まれた授業。
指導案を書く中で、そんなものは無理だ、と何度も突きつけられます。
中、高と、人に勉強を教えてきた経験、塾で子どもたちを教える経験。
初等実習でのうまく行った記憶。
それらが、自分はできる、ということを主張していました。
でも、実際はそうではない。
一昨日、平方根についてわかりやすく説明しようとした時も。
全員がピンとくる説明を考えることは難しい。
実は不可能かもしれない。
限りなく近く、わかりやすくできたとしても、それには莫大な時間がかかる。
授業研究、教材研究に没頭することは、必然的に教採勉強の時間を削ることになる。
中等実習はすごく大切だし、子供達にとって一生に一回の時間。
だからこそ、実習を優先したい。
でも、そちらに集中すればするほど、教採への不安が膨れていく。
教採ではなくとも。教員になって、忙しいのに教材研究をしたいという気持ち。
その板挟み。
どこまでもやろうと思ったら、やれてしまうから。
私の実習を担当してくださる先生は、とても素晴らしい方でした。初日に、ほんの少しだけ授業を見させていただいて。
そこからわかる、授業のわかりやすさ、構想の練られ具合。
そして、絶対的な経験の差。
学級でも、生徒たちとしっかりコミュニケーションをとり、子供達もそれを喜んでいる。
相談にも親身に乗ってくださり、一緒に指導案の構想をしてくださいました。
失敗しても良い、とも。
すごく恵まれた環境です。素敵な先生、学級、学校。
だからこそ、より不安です。そんな授業を受けた子どもたちは、わからない状態にもすごく敏感。同じレベルに、なんてことは絶対にできない。それが明確な経験の差だと感じたから。
自分が考えられる、子どもたちのわからないところ、つまづき。
そんなもの、ごく一握り。
経験は、その何十倍の量の子どもたちの情報があって。
自分の構想を、やってみようという気持ちをぶつける場が教育実習でもあるとわかっていても。
そこにある、自分が自分に勝手に課しているプレッシャーやプライドが。
不安にさせてくる。
数時間後には、明日の起床に備えて寝なくてはいけない。
指導案の見直し、文末や表現の統一、板書計画、実際に授業。
教採勉強、小学校免許認定試験の文科省の過去問。
うーん、悩ましいし、不安が増えていく。