中等実習が始まって、一週間が経ちました。
学校の雰囲気、学級、そしてこの生活にも慣れてきて。
一週間、まぁめちゃ大変だったというのは事実です。
早朝出発による空腹と腹痛に耐えつつ、夜は部活等も参加させていただきながらクタクタで帰ってくる。帰ってくれば、必要最低限の生活しかできず、食べて、お風呂に入り、寝る。
でなければ、睡眠時間がなくなって翌日もたない。
ある程度、極限の生活だからこそ、教育についてのみ集中するようになりました。
でも、大変だけどめっちゃ楽しい、というのが気持ちです。
きつければきつい分、実習生同士の仲は深まっていく。
学びを共有して、成長しあうことはもちろん。
どうでもいいこと、面白いこと、そういうのをたくさん共有することができて。
疲れたねーなんて言いながら、楽しく帰ることができる。
最近の帰りの車なんかは、みんなのテンションが壊れ始めてきて、
普段見ることができないような、個人の素で話している。
窮地は、その人間の様々な壁を取っ払う。
そこには、その人が本来持つ感情だったり、感性だったりも現れるし。
今まで隠していたような部分が隠せず出てくることもある。
それは、本来の自分を曝け出すしかなくなるような状態。
だから、窮地は、その人本来の姿が出ると思っています。
そういうことも含めて、実習メンバーが大好きです。
それは異なる大学から来ている大学生みんなもです。
来週も、楽しみです。
さて。昨日の学校での話を。
先生からのアドバイス、自分の中での引っ掛かりがあった一昨日。
ある一定の子供たち、話しかけてきてくれるような子達とのコミュニケーションの量が多くなっていたのを、気づいていました。
そこに、やはりあまり話すことができなかった生徒からの不満もあって。
自分でも、平等にできていない自覚があったからこそ。
昨日のノルマは、最低一回。全員と会話する。そこで、名前をしっかりと呼ぶこと。
そうなれば、行動は早く!でした。
一限の授業がワークシートでの活動だったということもあり。
「〇〇さん、〜〜」の流れを大事にしながら、とにかく一周。
そもそも、名前を覚えてもらっていないと思っていたようで。
名前で呼べば、それだけですごく喜んでもらえました。
また、ある特定の子だけでなく。全員を覚えていることを全体に広げることで。
全員、一人一人をしっかりと認識していることが伝わったようでした。
そこから、明らかに学級での自分に対する空気感が変化したように思います。
休み時間になると、特定の子のみがきていたのが、それぞれ集団になって話しかけにきてくれるようになったのです。
毎時間、話す子が変動するようになり、全員の子たちと2周、3周と話すように。
逆に、昨日までそれを明確にできなかった自分の行動を反省しました。
昨日は、他の先生の授業も参観させていただく中で。
「児童・生徒の実態に合わせた授業の構想」の大事さを知りました。
例えば、因数分解の活用の授業で、「因数分解の形の一つに〜のがあったよね?」という確認一つとっても、学級によっての反応は大きく異なってきます。
わかる、と反応し、手が動き始める生徒たちもいれば、そもそも因数分解とは?という疑問を持つ子もいる。
その人数の多さによって、学級の授業中の雰囲気、理解度の平均値が変わってきて。
そこに合わせて、授業の展開も変化していく。
当然のことだけれども、やっぱり重要なことであると再認識しました。
授業が終わって、先生との打ち合わせ。
忙しいのにも関わらず、長い間打ち合わせをしてくださる先生には感謝しかありません。
実際の打ち合わせは30分くらいで、そのあとは先生の昔の話だったり、大学の話、教育観の話で盛り上がりました。
自分が1日過ごしてみて、感じたことを素直に話す。
そして、反省する中で次の目標が決まってくる。
「365日。全員と。何度も。しっかり。」
昨日やった、全員との会話。
あなたを、しっかりと認識しています、見ていますよ。という表現。
それは、当たり前にできるべきこと。
一週間の終わりにできたのがむしろ遅い方です。
来週ももちろん。これからずっと。
昨日の目標を、当たり前のレベルに引き上げる。その大事さを、理解。
また、新しい悩みも出てきます。
全体と仲良くなってくることで、授業中や終学活前に盛り上がりすぎたり。
授業中近くを通ると話しかけられることが増えてきて。
休み時間と、その授業の時間との区別をつける必要が出てきました。
そのスイッチのオンオフを。今集中するべきことが何なのかを。
しっかりと切り替えできるように、まず自分がやっていくべきだなと思います。
その点で、コミュニケーションを取ることは当たり前にしつつ。
スイッチのオンオフを意識しながら、来週からやっていきたいと思います。
その後は雑談をして。
話の流れで、自分の研究室のこと、『』のことを話したりして。
教育観についても。
やはり、先生によってどこを軸にするかが違う。
自分は、生徒たちの、集団としての自立。授業を通して、主体的に学びながら、人と協力していく、つながっていくことを大切にする授業。
先生は、数学の面白さ、楽しさを伝える授業。考える授業。
その軸によって、授業スタイルも変わる。
素直に話して、ぶつかることがなかったことにホッとしています。
先生と話す中で。
「そうなんですよ!協働できるようになってほしいし、たくさん教えあってほしいんです。でも、やっぱり数学の魅力にも気づいてほしい、楽しんでほしいと思うんですよね〜!」
「そうだね、数学の楽しさもそうだし、子供達同士でつながってほしいとも思うんだよね!」
なんて話ながら。
結局、どっちも子供たちのことをどこまでも考えていて。
そこで授業の軸を何にするか、どこに置くかが違うだけだから。
すごく盛り上がるし、それぞれの良さについてもたくさん話しました。
結局、ゼミにいるときは、『』が全て良いと思っていたり。
あと、どこかで子供達に任せる方が、楽だな、と思っていたところもあると思うんです。
でも、そういう逃げの『』は子供達には簡単に見透かされる。
でも逆に、「一斉指導は、楽ですよ。」とも言われた。
誰もが、理解していること。気づかないようにしていることもある。
そこを理解し、いかに一人も見捨てないを実現しようか考える。
それは、学習面か、人間関係か。その違いはあれど根本は同じ。
だから、先生は、一斉指導のプロとして。自分は『』をやって。
そういう、選択なんだなと思いました。
でも、結局は。
両方、できた方が良いに決まっている。
最近の『』は、授業の形にとらわれるものではない。人生である。
だから、考え方が、願いが大事だと。
それは、教育全体に通づることのはず。
今は、もう一つの武器を、磨いていく段階。
いろんな形を知って、願いを知って。
どう自分が教員になった時に、活かしていけるか。
それを考える時。
来週から授業が始まります。
今回は、『』の授業形式ではない。
でも、考え方は『』で。
『』をしない、『』の授業の実現。
いろんなヒントを、学びを。たくさんもらってきた。
それに、完全形を出せいるわけではない。
でも、自分の精一杯を。発揮していきたい。