1日指導案と向き合い。
正確に言えば、指導案ではなく、授業構想と、ですが。
少しでも、漏れ落としたくない、見捨てたくない。
自分の拙い一斉指導は、そういう子供達をうむ可能性が大きすぎる。
どんな実習生担当の先生も、優しさで「失敗しても良い、挑戦してみなさい」
と言ってくださります。本当にありがたい。
でも、子供達にとって、その授業は一生で一回しかないもの。
先生が補填してくださっても、最初に学習する時の記憶が、実習生の授業であることは変わりない。
圧倒的な経験の差を、実習生であるというバフによって埋める。
もちろん、埋まることはないし、どう頑張っても超えられるものなどではない。
だから、別の方面で、自分にできることをする。
事前に作っていた指導案は、生徒の実態も、先生の一ヶ月間の指導も、何も考慮していない指導案。とりあえずのものだった。
なので、一からリセットし、子供達の学ぶ姿をイメージして構想。
構想してると、楽しくなってくるし、どこまでも際限なく突き詰めたくなる。
できるのは今だけだなって思って、挑戦中。
対話がたくさん生まれて、自然と協力が生まれるような。
それでもって、大きく手をひろげて抱え込める授業を、なんとか作れないものか。
練って、考えて、生み出して。削って、とれて、また戻る。
その繰り返しの中で、授業が洗練されていく。
もうちょっとだけ、考えていたい。