今日は色々なことを感じた一日でした。
それが、みえるもの、みえないもの。
「もの」には、「物」や「者」が漢字としてあてはめられるかな。
何も、心霊現象に出会ったということではありません(笑)
物というのは、たいてい人間がそれに対して価値だったりを見いだしているから、そういった物として見ることが出来る。
当たり前だが、お金の札だって、ただの紙と言われたら紙である。
けれど、人間がそれに価値を付け、それが流通するようになったからこそ紙ではなく、お金として存在することができていると思います。
お金のように、誰もが共通認識としてもっていること以外でも、そういった場合はあると思います。
国語科指導法の授業で納得したことがありました。
見え方という点において、知識がつくことによって物の見え方が変わるということ。
ただ海をイメージした時、それは海としてイメージされるけれど、
宝の宝庫、魚の住処、海洋ゴミの問題として見えれば、イメージする海も異なって見えると思います。
経験や知識によって、見え方が違うというのは、意外にもよくある。
例えば、日常生活できれいなネイルをすることを意識している方は、おそらく相手のネイルの変化に気付ける。
本を大切にしようとしている人は、積んである本が紙の塊としてではなく、作者の思考、人生であると捉えられる。
見方は人によって異なってくる。
それは、優しさも、努力も同じなのではないかなと思います。
人に優しくできる人、誰かに優しくなりたいと思える人は、誰かの優しい行動に気づいてあげることができる。
何かを達成しようと努力している人、もしくは同じ努力をしたことがある人は、今目の前で努力している人のことが良くわかる。
人前に立って話すことを頑張ってきた人は、人前で緊張して話せない人のことが良くわかるし、応援してあげたくなる。
きっと、何か基準というか、レベルがあって、そこに到達した人は、それに気づくことができる、理解できる。それを常に更新していくことで、日常が、見える視点がアップデートされていくイメージ。
けれど、逆もそうなんだなと。
人に優しくする気がない人は、相手の優しさに気づくことができない。
努力しない人間は、人の努力に気付けない。
物を大切にしない人間は、その人にとってその物がどういうものなのか考えもしない。
そういったことから、すれ違ったり、両者を嫌いになったりするのかな、と思います。
そして何より、どう頑張っても、同じ経験をしていない相手にそれを理解してもらうための行動をしようがない、というところ。
だから、気づけないし、どうして気付いてくれないのか?と憤る。
私の人生で、とても大切にしている言葉があります。
「いろんなことを経験して教員になりなさい」
これは、私が中学校の時に、職場体験学習で校長先生から頂いたお言葉。
教員になりたかった、だから、その時はよくわからないけれど、本当にたくさんのことに挑戦したなと思います。失敗もしたし、成功もたくさんあって。
けど、ようやく本当の意味でこの言葉が理解できて来たと思います。
見える者になるには、いろんな経験をしている必要がある。
相手を思いやるには、たくさんの心情を経験している必要がある。
そうでなくては、見える世界が広くならないから。
たった一言のアドバイス、けれど、本当にすべてを表しているなと思います。
軸を持ちながら、常に自分をアップデートさせていく必要がある。
大切なことだなと思います。