時々、できないこと、分からないことが目の前に現れます。
人間誰しもそういう場面は何度も経験しているはず。
能力的にできないこと、知識的に分からないこと。
私はこの状況がとても嫌に感じます。
現在の教育の賜物*1なのでしょうか?
分からないということから逃げることができない。
例えばテスト勉強。
課題のワークや自分で解く演習問題。
分からないということが嫌い。
だから、分からないと本当に悔しいし、次は絶対に分かる状態にするという気持ちから徹底的に理解しようとしてきた。
技能も同じ。体力的、持病の関係などで元からできなかったり、時間をかけなければできないこと以外。その場で感覚的にできるものというのは、やはりできないと悔しく感じた。
だから、できるようになるまでやってみる。無理だとしても、自分のできる限りのところまで。
今でも残り続けているのが、この「できるようにならなければ。できる状態でなければ」というような一種の強迫観念。
事実、自分の能力を高めてきてくれたし、大切なことから逃げないで来れたとも思う。
しかし、何に対してもそう感じてしまうときがある。
今、できるようになる必要がないこと。わからなくてもよいこと。
そういったことに対して、できるようになりたい、分かりたいと思ってしまう。
それがゆえに、やらなくてはいけないことを差し置いて、そっちを優先させてしまったり。
悪いことではないとは思います。
しかし、もっと楽に考えてもよいのではとも思います。
①優先順位を付けること
②できるようになるだけでなく、できる人の力を借りることができるようになること。
この二つが重要だと感じます。
でも、できるようになったら、人の役にもたてる。
①優先順位を付けることというのと、上手くバランスを取ることが大事そうです。
*1:笑