最近、自分がどういうものだったのかよく思い出すきっかけになったことがある。
人が発する強い感情は、自分の感情にも影響を与える。
怒りややるせない感情は、文面にのって届いてくる。
顔や、雰囲気、声。
それらは、自分の体温をガッと下げる。
それは、頭を冷やして、冷静にさせるためか。
だから、人の意見の対立とか、喧嘩とか。
正直つらい。
自分が対立の主体になっているとしたら、それも嫌だけど、側から見ているのもつらい。
そもそも、すぐ解決できるような対立、意見のぶつかりに対しては、あまりそこまで思わない。
どちらの意見も、大切で、真っ当で。
故に、どちらも取るという解決案が出せない時に、自分の四肢が冷たくなっていくのを感じる。
中学校の時の生徒会の話し合い。
昨年からのメンバーチームと、新加入生徒会メンバーチームで、ある学期の目標を考えようとしていたことがある。
お互い、必死に考えたけれど。
司会は旧生徒会側で。
あれよあれよと、新加入生徒会チームの意見は流され、自分たちの意見が全てだった、なんていう風な感じで意見が決まりそうなことがあった。
その時にも、同じような感覚だったし、あぁ、新入り、未熟な側の意見は尊重されないのかってのも思った。
結局、その意見決めるの少し待ってください、って言って持って帰って。
翌日、両者の意見を合わせた意見を提出して、採用が決まった。
そうやって、妥協点じゃなくて、両者が満足できるものが出せれば、スッキリする。
でも、どんなに頭を回しても、その案が出る見込みがない時。
両者の主張の真っ当さ、大切さを感じる時、本当に心がキツくなる。
だから自分は、対立した案を集約して一つの案にすることを、その後もずっと考え続けるような生き方をしてきたし、そもそも意見が割れるようなことになる前に、なんとかしようと早く動き出す、慎重になるってことをやるようになったんだなって思い出す。
悔しい。自分も、もっと慎重に、しっかり考えるべきことがあったはず。