今日はバレーのみで大学に行く予定がなかったのですが、
卒論のカテゴリ分けに悩んでゼミに出ることに。
卒論の質問の前に、ふと気になったことを質問。
「先生は、なんで俺らと一緒にご飯食べるんですか?」
うちの研究室では、平日いつも11:30くらいになるとゼミ室に先生がきて、そこにいるゼミ生と一緒に学食に行くという文化がある。
時々、他の研究室の院生さんや教授の方も参加されるので、普段関わることのない人たちとも関われる良い機会なのですが。
疑問に思った理由は、まず先生があまり自分達に積極的に関わろうとしない、と私が思っていたからです。
というのも、『学び合い』のセオリーなどでは、全員にしてあげることができなければ、やるべきではない、という認識があったり。
個人と関わりすぎれば、それは贔屓になる、ということも。
だから、先生は上司の役割として、意図的に深く関わらないようにしていると思ってもいたんですが。
でも、学食は一緒に行くよなぁ、とか。
ゼミ室にいたらよくゼミ室に来て、そこにいる学生とバカ話するよなぁ、とか。
それで質問。
回答は。
「寂しいから」という、なんだかめちゃくちゃ人間味がある回答。
色々深掘りしていって。
そもそも、ゼミ生に対しても興味がないのかなぁとかも思っていたんですが。
真逆で。
「ゼミ生に対しても興味はある。」なんて回答も。
結局、大事なのは自分の行動が起こす影響を考えること、軸を持って分かりやすい線引きができること、のように自分では捉えました。
子供達の幸せを願っているし、関わりたい、知りたいという気持ちはある。
それがウォームハートである。
でも、自分の行動を律して、集団を俯瞰して捉える、関わりすぎないということも含めて、クールブレイン。
この、ウォームハートとクールブレインの意味、そこからくる行動について納得がいきました。
それに付随して、質問。
「みんなにできることならいい、ということならば、学活などで先生も混ぜて遊ぶことになったら遊んでも良いのか?」という質問をしました。
答えとしては、「そもそも、集団が出来上がっていたら先生を混ぜて遊びたいという発想は出ない。子供が先生や実習生と遊びたいというのは、集団が出来上がっていないから。先生や実習生が入ることで、メンバーがつながったり何か起こった時に対処してくれるから。」
という回答をもらいました。
思い出しました。
小学校の時に昼休みに遊んでいた時。
仲のいいメンバーで体育館で遊んだりしていましたが、そこに先生を混ぜて遊びたいとは思ったことはなかったです。
実習生の先生が来ても、仲間と遊ぶのが楽しかったら別にいいかなってなったりしていて。
結局、そういった集団のつながりができていれば、そもそも先生を誘わないというのに深く納得。
その後は、卒論の質問。カテゴリ分け、どんどん頑張るぞ!ってなりました。
正直、動画が見終わらない不安が多くて、少しずつ他の人に対して配慮したりすることが疎かになっている、とも感じています。申し訳ない。
当然ですが、人に当たらず。でも不安を聞いてもらったりしながら、できることをやりたいと思います。