ここ2日ほどブログを更新できていませんでした。
土曜日も、日曜日も、中学来の友人と話していました。
社会人になった人や、学生として頑張る人。沢山の人がいます。
様々な話を聞く中で、やはり引っかかるのは離職などの問題。
三年以内の離職率について、今読んでいる『Society5.0に向けた進路指導』にも書かれています。
実際に、働いている友人からお話を聞くことで、とても現実味のある話に。
これから、次々に倒産が増えたり、非正規雇用者が増える中で、やはり救いがあるとすれば、小、中学来の友人。
ネットで誰とでも繋がれる時代であり、そのうえで地方分権化が進み、生まれ育った故郷で楽しく過ごす人生。
さて。本日もボランティア支援に小学校に行かせていただきました。
朝からお昼まで、ヘルプが必要が学級へ。
休み時間から学級に入り、どんな子どもたちなのかお話ししたり。様子見。
一人ひとり、元気で面白い子どもたち。
授業になると、そのパワーが私語に向かってしまっているようで。
先生方が注意されるのですが、一つを注意すると他の場所でまた私語やトラブルが勃発。。。
まるで、モグラたたきのようだなぁと思っていました。
いつも思うこと。
支援員の方や、先生方が、その子につきっきりになることは難しい。
たとえつきっきりになったとしても、その子供が先生の望むように動くなんてことはほとんどなく。では、二人に増やしたら解決する?そうではない気がします。
そう考えていったときに。個人に対してつく先生の人数を無限に増やしても変わるのでしょうか?と思ってしまいます。
まぁ、実質不可能。
学級にどれだけ先生が増えたとしても厳しい。
けれど。児童は、児童に注意されること。児童集団に注意されることで行動を改める場面が非常に多いように思います。
そして、その後も注意された行動をやりにくくなる。
また、注意も。言うだけ言って終わりなのか。その人を集団に組み込み、見捨てないとせんとする注意なのか。また、注意を受ける人もその集団にとってどういう人として所属していたいか。それを考えるような土台がなければ、上手くいかないと思います。
それが学級経営で。だから、絶対のルールとして『』では「誰一人見捨てない。」を徹底するのだなと。そのルールの下で集団を形成することが大切で、必要だから。
モグラたたきではなく。
モグラ同士がそもそも頭を出さない、たたかれなくてよくなるような、そういった土壌(集団、学級)を作るのが先生の役割なのでは?と思いました。