今日、『』のことについてお話ししているのを耳にしました。『』は難しいとか、正直授業放棄では?といった声も。
うむむ。確かに最初はそう思うんだよなぁ、といつも出てくる批判の典型的な形に対して心の中で思っていました。
別に、その場で反論することは無いですし、相手は大切な友人たち。
きっと、現場に出てみて、もしかしたら本当にきつくなったときに知りたいと思って理解するのかもしれません。しないかもしれません。どうなるかは分からない。
まぁ、そんなことを自分に言い聞かせながらゼミ室に戻りました。
そこで、『』を知ってはいるけれどやろうと思ったことがない方と対話する機会がありました。
話を聞くと、学校に行ったりする際に悩みがあるということで。
内容としては、ぼかして言うと学級がうまくまとまらず、授業が難しいといった内容。
支援の必要な子どもや、一度別のことに集中すると、なかなか切り替えが難しい子どもがいるといった内容。(個人情報のため、相当ぼかしています。)先生も大変そうだということで、その中で授業を行うことになったそう。
けれど、今の状態では授業を行うこと自体も難しそうだし、根本的な解決にならなそうということでした。
話を聞く限り、本当に今の学校の制度に適用できない子どもたちが増えてきているなと感じます。また、今のままではその子たちが楽しく学びに向かいにくいと思います。
勉強ができればいい・45分間静かに座って授業を聞く。
う~ん、その子たちはすごい力を持っているし、目標が定まれば爆発的なエネルギーを出してくれます。それを上手く方向付けられていないのが問題なのかな?と考えたり。
そういう子たちのパワーが味方になるのが、『学び合い』だと思っています。
正直、それ以外の方法、特に、教員一人がその子を変える、何とかすることは不可能であると思えます。
その後は、『』の理論を説明して、どういった風に授業をすればよいのかという説明や、課題作り、本の紹介などをしました。
その人にも授業がうまくいってほしいし、そのクラスの子どもたちも楽しんで授業を受けられるようになってほしい。
現実に存在する壁、上手く現在の教育に適応できない子どもたち、本来の実力を上手く出せる環境にいない子どもたち。
そういう子供たちが誰一人残さず幸せになれる道を考える必要があって、自分も学んで。そして改善を求める人、助けを求める人達の役に立てるようにもしたい。