実習が終わり、私の所属しているコース全員が必修の授業が後期に入ってから初めてありました。
その授業では、実習を振り返り、良かったこと、難しかったことを共有して、皆で対策を考えたり、共感していくという活動がメインでした。
いつもとは違うメンバーで、どの実習校に行ったのか、実習はどんな感じだったのか。
聞く話はとても楽しく、みんないきいきとした様子でした。
話していく中で、出てくる悩みも共感できるものであったり、やはり学年ごとの感覚の違い、実態の違いも感じられました。
こういった他者の経験を聞くというのは、自分の学びを広げたり、考えるきっかけになるものです。
本日の授業では、最後の今の自分にとっての理想の授業とは?という問いに答えるというもの。
これが、私にとってとても簡単で、とても難しい問いでした。
理想の授業。
その授業は、自分が教えるということを暗に示していないか。と。
私が教師として目指すのは、誰一人見捨てず、子どもたち全員が幸せになる未来。
それを実現できる「集団」にすること。その場を提供することだと思っています。
そう考えたときに。
理想とは、誰のためにあるものなんでしょうか?
私の理想のために、授業をするものでもないような気がします。
理想の授業。これは、子どもたちが幸せになっていくために。子どもたちが考え、動き、集団となって考えていくものではないのでしょうか。
そう思うと、「私の理想」というのはよくわからなくなります。
どこまで行っても、板書も、授業の形態も、教員が教えるということすら、本来は「子どもたちが幸せを獲得するための手段」であって。
それを選ぶのも。教師ではなく、子どもではないのか。
そうしてようやく、主体的な学び~なんていうことができるんじゃないかなぁと思ったり。
悩ましい問いでした。