今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

運営

昨年終了された、現職院生さん主導による上越市での教育イベントに、実行委員として携わらせていただけるというとても貴重な機会をいただきました。

 

開催はまだ先ですが、企画、運営が始まっていく。

企画の叩き台を見せていただき、あれこれ考える。

 

小学校から総合などのイベントを企画するのが好きだったし、それは中学、高校、大学になっても変わらない。

 

参加者としても楽しいが、裏方として誰かの力になったり、人と協力して何か一つをなすというのはとても楽しいと思う。

今回も、非常に楽しみであり、貴重な経験になる予感がする。

 

今は、誰かが主催してくださるイベントに実行委員として関わることが多いが、いずれ自分でも明確な目標や課題意識が持てたら、地域などを巻き込んでイベントを主催するのも面白いかもしれないなと思っています。そういうのを含めての学びですね。

 

 

さて、ジムに行って、ずーっと動画を見ていました。

昔の西川研究室は、今の様なわちゃゼミと言われる、質問がいろんな人から繰り出される形式よりも、一人ひとりと教授の対話が多い、個人ゼミ的なものが多いイメージがあります。

(実際に残っている動画がそんな感じ)

 

 

自分の卒論でもいいたいことですが、やはり授業での『学び合い』についてがテーマとして多くて、実際どうしたらいいですか?という質問も多い。

 

でも、時々教授の中で、教育にとどまらない話につながっていることがあって。

それが、今のゼミでは多く、ほとんどの問答においてそれが出てきているんだなぁと実感。

 

 

まぁ正直、授業レベル(教育、学校内)の問答と生き方レベルの問答の違いを定義したり、基準で分けるというのが今すごく難しい課題でして。

 

これは、自分の中でどうその問答を捉えるか、というよりも、客観的にどうなのか、というのを見なくてはいけない。

 

難しいけど、面白いし学びもある。

 

どうせ毎日動画見ていくので、印象に残った言葉を書いていきたい。

自分の考えも合わせて。

 

 

・「自分が幸せでなければ、人の幸せを喜べない。」

・「『学び合い』が一般化され、マジョリティが増えると、何も考えずに『学び合い』ができる層(最初の本や、これまでの実践書の数々などを読まなくても、人から聞いたり、学校内で実践している人を真似てみる人たち)が現れる。」

でも、結局、『学び合い』自体を牽引していく、挑戦し続けていくのは今のように本を読み、誰かと語り合って、自分の論理を自分自身で先に陳腐化させ、それを更新していく様な人たちなんだろう。

 

・「物事の価値を、しっかり考えていく必要がある。」

DNAに刻まれたものが先天的なもの。だから、今世の中にある価値があるもの、お金がかかるもの、というのは、実は後天的に価値づけられているものでもあり、人がその価値を生み出している。だから、本当に自分にとって必要なのか、というところに戻って考える必要がある。

 

・「必然性を与えるよりも、先にツールを与えるのが今の教育」