今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

適当

今日は午後からバイト。

生徒を見ていない時間でも、チューターという見回り業務があります。

 

復帰したばかりなので、そういった仕事も多い。

 

そこで「適当」という言葉を考える。

 

適当には、的確にやることといい加減にやることの意味があるが。

この見回り業務の仕事の「適当」とはなんだろう。

 

やるべき業務は適当関係なくしっかりとこなすとして。

 

例えば、見回り中にどこまで子供達に声をかけるか、というところ。

わからないところがないか、学習はどうか、という話を聞き、集中を乱さない程度が適当なのか。

そもそも、少し相手の情報がわかる、最近の話がわかるといった、少し手を止めてしまうくらい話すのが適当か。

手を止めるというから、悪い意味や集中を途切れさせるというのもあるが、子供達とコミュニケーションをとることで解説しやすかったり、自分の話を聞いてくれやすくなるという特徴もある。

 

 

どこまで子供の学習を見取るか、という適当もある。

自分が見た具合、なのか。それとも、次に生徒を担当する先生に引き継げるレベルか、さらに、先生が何を見て欲しいのかということを事前に確認して、見とるのか。

 

でも、どこまでもできるけれど、どこまでもやると逆に相手の迷惑になることもある。

鬱陶しいと思われることもある。

 

 

仕事を「適当に」こなす、というのは、誰の基準なんだろうな?って。

人によって違う、雰囲気によって違う、時間、場所によっても違う。

 

なら、そもそも「適当」なんていう正解があるのか。

 

 

だから、自分がしっかり仕事をこなした、と分かるラインだけはしっかり守る。

 

 

仕事をしたら、そういうことばっかりで、何事にも、「適当にやる」ということが求められる。

 

正確に、なのか、いい加減にできるところはそうするのか。

 

 

結局、優先順位。誰のために、何をするのか、なのかなって。