今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

初静岡県!

先日、静岡県藤枝市にある小学校で、西川研究室OBの山崎先生の授業を見学させていただきました。

3限から6限まで参観させていただいて。

 

これまで体調不良やなんだでなかなかまとめをかけていなかった、自分の中で整理ができていなかったので、この機会にしっかりまとめておきたいと思います。

 

時系列順にゆったりと書いていこうかなと思います。

 

まず、5時くらいに上越市を出たのですが。

上越市と静岡の気温差がすごい。

とても暖かい一日で。

それはもう、花粉たちが喜んでいそうな笑

それもあって今鼻がやられているのですが、とても良い天気でした。

空が高い。上越はどちらかというとじめっとしていて、どんよりしているけれど。

カラッと、すっきり晴れていたのが印象でした。

 

そんなこんなで、20分休みの時間に学校に入らせていただいたのですが。

びっくりするくらい元気が良い挨拶が!

 

児童玄関には、「あいさつはだいじ」と書いてあったのですが、すごく元気よく挨拶をしていきてくれました。

正直とても驚きました。結構距離が離れていたのですが、みんな挨拶。

最近は、道を歩いていても通り過ぎる時に挨拶をしなくなってきているように感じます。

子供の時は、帰り道などにお年寄りがいたりすると挨拶したり、少し会話したり、そんな感じでしたが今は少し寂しい。

 

そんなことを感じさせない素晴らしい挨拶に迎えられ学校見学スタートでした。

 

山崎先生には、事前にどのような授業を参観したいかという希望を聞かれており、それに答えていただいたという大変ありがたい、貴重な経験をしました。

 

最初に参観したのは、3限の算数の授業。

以前群馬の会でお話しさせていただき、話を聞いていたこともあり、動かない『学び合い』、『学び合い』ではない『学び合い』。どのようなものなのか、ということをワクワクしながら見ていました。

 

一言で言うと、、、なんてまとめられないので、見ていて思ったことを書いていきたい。

範囲としては、規則性のような、コップを重ねた時の高さの内容。章末についているような問題。

授業を見て感じたこととして、とにかく「対話」。それも、対話、対話、対話。

膨大な量の会話量。それも、4年生の子供達の。

 

自分がイメージしていた4年生は、少しずつ手が上がらなくなってきて、間違えることなどを気にしているような、そんな勝手なイメージだったのですが、そうではなく。

 

めっちゃ手が上がる。というか、手上げる前から喋っているし!

と言う感じ。それを、先生が整理し、進めていくような感じ。

面白いのは、先生自身は解説するわけではなく、全て子供達の説明で賄っているところ。

子供達の説明で良いものを板書している。

基本、子供たちをかけて、どんどん話を広げていくスタイル。

 

だから、とにかく子供たちが話しているイメージ。

 

ここだけ切り取ると、『学び合い』ではないような気もして。よくできた一斉指導型の授業でもあるなぁと。

 

けれど、この子供たちが話す塩梅がちょうどいい。

大体、一つの話題で4人程度当てるように感じたのですが、『学び合い』の理論にもあるように、人と人の相性があるため、人によってはわかる説明とわからない説明がある。その全体がわかるようになるのに必要な人数が大体4人。

 

4人が説明すると、最初の人より次に話す人の方がようやくされ、わかりやすくなっている。

それだけでなく、他に着目したことを話し出す子供たちがいて。その中の誰かの発言に対して、クラスの一人一人が納得を示している。

そんな感覚を覚えました。こう言うところが、学習において誰一人も見捨てないを、達成しているのか、と。

 

それだけでなく、全体的にうまくわかっていない時には、それこそ『学び合い』のセオリーみたいに、自由に動いてよしの教えあう時間を作って。

 

面白いのは、今までの授業の経験から、子供たちはたくさんの発言をしていて、誰の説明が自分によく引っかかるのかを見定めているところ。だから、はいどうぞの時間になったら、すぐ席を離れてその子の元へ行く。

 

誰に聞いたらいいのか。誰の説明が「自分にとって」一番わかりやすいのか。

それを、今までの授業の段階、先生とその子の対話を聞いていて理解しているんだなと。

 

また、これだけ自由に会話しているけれど、先生や友達が話し始めると静かに聞く体制になるというのも素晴らしいなと感じました。

 

 

授業中には、そういった対話をしている最中に、各地で「そう言うことか!」とか「わかんない!」と言う言葉が自然と出ていました。

面白い。

普通は、わからないことをあまり周りには知られたくないと思うはず。

 

けれど、それを大きい声で伝えれば教えてくれるのがわかっている。

助けを求められる環境。素直に人に対して感謝し、尊敬できる姿。とても感動しました。

 

 

ノート指導とか、時に何か言っているわけではないけれど、それぞれが書くべきこと、書かなきゃいけないことを判断して書いているのもすごいなと感じます。

以前の群馬の実践でもそうでしたが、『学び合い』だからと言って、みんながノートを書かなくなるわけではない。わかりやすい説明はメモに残しておきたくなるし、試行するならノートをつかう。そう言う、必要性を感じてとったノートは、素敵なものだなと思いますし、きっとそう言うものだからこそ。取らされたノートではないからこそ、見返した時に学びが生まれるのだろうなと思いました。

 

授業を見ていて感じるのは、

「先生も、生徒も。なかなかに気が抜けない授業」でもある。

先生は、今の現状を的確に把握し、わかっていない子供達をかけながらどんどん言語化させていきます。わからない子も、わかる子も。その内容についてどうやって考えようか、どうやって言語化しようか、必死です。

みんなすごく頑張っている。

 

確かに疲れるだろうし、大変だと思う。

けれど、子供たちや先生の顔を見ていると、すごく楽しそうで。

学習したことが身についていく感覚、言語化したことが人に伝わった嬉しさ。

それを授業で理解していっているなぁと感じました。

 

 

4限は外で縄跳び

普段は体育は別の先生が授業を担当されているようで。

子供たちの団結力はさすがです。

また、先生のアドバイスも的確で、子供たちの動きがアドバスを受けてすぐに変化したのを見ました。

 

昼休みには、清掃の時間も見せていただきました。

その学級では、静かに清掃を行なっており。

後から話を聞くと。

真剣に掃除し始めると静かになる。逆の思考で、静かになれば掃除をするしかない、

確かに、あの空間であれば誰かが話す声はよく響く。

 

自分の学校を掃除するのは日本の文化であるとどこかで聞いた気がする。

実際、実生活でも掃除は大切だし、綺麗にする意識、自分たちの場所を使いやすくする意識。

それらはやはり必要ではないかなと思っています。

 

私も、掃除の指導などどうしていこうか考えていたので、一つの参考になりました。

 

 

5限は、国語で、みんなでテスト。

 

え?みんなでテスト??

どう言うこと?と言う感じでした。

 

答えは、子供達から。

 

形式は、資料などは使ってはいけない、人と話し合ってもいいというテスト。

最初に先生は、クラスに問いかけました。

「テストってなんだっけ」

 

子供たちは、

「協力するため。」

「本来は、一人の力を計るものじゃん。でも今日は教えあう。だから、先生はこのクラスの団結力とか、クラス全体でどれくらいできるのかを見るんじゃないかな」

 

と言う子供達の回答。

 

正直びっくりです。

さらっと、テストを受ける意味を答える4年生にもびっくりですが、この団結力、クラス全体の〜と言った言葉が出てきたところ。

 

本当に、実践を見ると毎回自分の子ども観がどれだけ低く見積もられているのか、愚かさに気づきます。

 

本当に、しっかりしている、よくわかっている。

それに対して同意しているクラスのメンバーが多くいる。

 

すごいなと感じつつ、でもきっとどこでも理解できる子たちはいるんだろうなと。

 

 

提示されたのは、全員が満点を取ること。

よーいスタートで始まりました。

 

『学び合い』のような始まり方だったので、いきなり動き始めるか?グループになるか?なんてことを思っていたのですが、意外にも最初はしばらく個人作業。

 

先生と、学級の様子を見ながら話していて、腑に落ちたことがありました。

 

子供たちは、テストの意義や勉強の意義について、

「一人一人が学ぶ必要性」と言うものを理解している。

また、その時に、自分の力でなんとかならないものを、人の力を借りて解決する。

 

どこまでも

  他者の力

    ⇩

自分▶︎(自分)▶︎自分

と言うサイクル。

 

だから、ただ答えを写すような、『伝え合い』のようなことはしない。

 

なぜそれを答えるのか。なぜそうなるのかを言える、教え合える。

それが『学び合い』であり、『学び合い』の質を計る一種のバロメータだと理解しました。

 

だからこそ。

子供たちは、このテストでも、まず自分で解決しようとする。

そうしなければ。一人でやって、自分の答えがないと、そもそも他者と話し合えないと言うことを知っているから。

 

 

こんなことを、理論的にか、直感か。実際に動いている子供たちはすごい。

だからなかなかすぐにはグループにならなかったのか、と言うことに納得がいきました。

 

 

気づいた時には、クラスごちゃ混ぜになっていました。

すごく楽しそうに教え合って。

 

そこには、男女関係なく、わかる人、自分にとって教え方が上手い人のところに行ったり、答えを確認し合ったりする姿が。

 

最後まで諦めず、黒板には「頑張れ!」と応援の文字も。

 

最後まで、一致団結していたなと。

こんなテストがあるのか、と。

 

 

結局、活動の中で垣間見えた、

自分で考え、自分で解決する。できないものは、人の力を借りて、「自分で」解決する。

どこまでも自分のペースだけれど、最後まで諦めず。

個人作業も、共同作業も。ごちゃ混ぜに。

これって、個別最適化その通りだなぁと。

 

それに、力を借りるのが友達なら、とてもやりやすい。

 

 

時間の最後には、回答を配ったのですが、食い入るように回答を見つめ、すぐに解き直しを始める。

 

面白いのは、ほとんどが配布された回答と一人で一度向き合った後、すぐに人とあーだこーだー言っているところ。

 

回答を共有しているからこそ、いろいろな視点で解き直しができる。

解き直しも、とても有意義になるなと感じました。

 

 

その後には、反省会が開催され。

今回は、いつもテストで良い点数を取る子の回答が間違ってしまっていたようで。

それに引っ張られて、、、と言うことでミスが出ていた子が多かったようなのですが。

 

最後には、「これは自己責任だ」とか、「じゃあどうしたらよかった?」と言う問いかけに対しても、「答えを教えるばかりではない」「理由を言ったらいいんじゃない」とか。

 

最後には、「それって授業でやることだよな」とまとまり。

 

こうやって、失敗と反省を繰り返しながら、個人にとっても、集団にとっても最適な回答を見つけていくのだなと。

 

6限は学級会を見せていただき。先生はノータッチで、子供達が自ら題材を決め、話し合う。

先生をまねて話し合いを進行させたり、自分たちがより大変になるような案を出したり笑

 

 

自分たちで考え、自分たちで決め、自分たちで実行する。

それは、先生の手を離れた、自立した集団へ向かっていく姿。

5年生、6年生になっていけば、よりその姿に近づいていくんだろうなぁと、とても子供達の成長が楽しみになりました。

 

 

 

子供達が下校した後は、山崎先生と授業の振り返りをさせていただきました。

本当にいろいろな話が出てきて。

 

例えば、それこそオープンな『学び合い』をするリスク。

他の先生や保護者の方との兼ね合い。子供達がいくら楽しくても、、、

 

山崎先生が見つけた、今の形、『学び合い』をしない『学び合い』の形が生まれた理由。

 

子供達の失敗に対する見方。

 

なぜ、山崎先生が今のスタイルを確立できるのか。

 

その一つに、圧倒できな洞察、思考、研究があるのだと思いました。

 

授業中、山崎先生の視線の動き、その時にかける児童への視点、発問を見ていました。

基本話している児童を見ている時間は少なく、その話を聞いている他の児童に視線が向いている。

 

「向く」と言うより、「流れ続けている」という感じ。

めっちゃ子供のこと見ている。だから、多分分からない子をなくせるし、ついてきていない子を見捨てない。

 

じゃぁ、今の自分に取り入れられる技術はなんだろう?と考えた時に。

やっぱり、「よく見ること。洞察。」

後は、「相手の話を受け入れること」

 

これは、一斉指導型でも、『学び合い』でも、なんでも。

すごく大切なことを学んだと思っています。

 

現状を的確に把握する。少なくとも見える範囲では。

個人も、集団も。

 

そして思考する。

 

 

新任から!と言わず、明日から使っていける技だなと思います。

 

 

また、山崎先生の『学び合い』の核にも触れて。

それは、「一人一人の学びが成立すること」

 

それは、どこまでも一人一人の学びを軸に組み立てたれていた授業。

 

 

 

帰り、なんと静岡駅まで山崎先生に送っていただいて。

大変感謝しております。本当にありがとうございました。

 

そこでもたくさんお話をできて。

 

 

 

今回の見学で学べたことを、大きくまとめるとするならば。

①子ども集団の有能性は計り知れず、自分の今の思考の枠組みでは捉えきれないこと。

②取り入れる技術として、洞察、思考。これを強化していくべきであること。

③自分にとって『学び合い』とは何か。そもそも自分が目指す学級、子供達に対しての願いはなんであるか。

 

これを学びました。

 

特に③については。

今までは、どこか借り物の言葉。それこそ、ゼミの師がいうように。

「誰一人も見捨てない」「多様で多数のつながり」・・・

様々ですが。

 

それをコピーして、言っていることで満足しているような気になっていました。

でも、それでは子供達に本気で願えないし、語れない。

 

願うなら。ゼミの師の言葉を。今までの人生で学んだことを。

自分が目指す学級、子供達への願いを。

「自分の言葉で」言えるようにならなくてはいけないと。

 

そうした時に、きっと『学び合い』という言葉から離れ、自分なりの『』ができるようになるのではないかなという確信が生まれました。

 

ではそのためには。

 

たくさん学ぼう、実践もしよう。そう思います。

山崎先生の軸が「一人一人の学習の成立」、そのための『学び合い』であったように。

『学び合い』実践者の方は、おそらく何かしらの自分の軸があって、そのために『学び合い』をしているように思います。

 

その軸を。そしてその学級を。みたい。学びたい。

どんな軸があるのか、どう『学び合い』を使ったり使わなかったりしているのか。

最終的には、どんなことを考えているのか。

 

それを知っていくことが。

自分の軸を見つけ、子供達に語るべき願いを言語化できるようになることにつながっていくと思いました。

 

山崎先生、現職のゼミ生の方々、貴重な機会を本当にありがとうございました。