共通テストが終了し、高校の私立受験も終了しました。
残すは、大学2次試験、そして高校の公立受験です。ここからが本番。
塾にで勤務して3年ですが、受験にはエピソードがあり、人生がある。
色々な人がいる。
受験の合格は、必ずしも将来の幸せを保証しないけれど。
そこにかけた努力も、経験も、役に立つ。
勉強しておいてよかったと思うことがよくあります。
確かに、日常生活で高校数学など使わない。
目に見えないだけで働いてはいるけれど、気にもしない。
当然、豊かな人生、生活の背景には、先人たちが探求した学問と、それによって生み出された恵みの産物があって。
それに気づくために義務教育があるとか、高校の教科学習があるとは私は思わない。
知っていれば面白い背景だとは思うけれど、必須じゃない。
結局、勉強していてよかったと思えるのは、忍耐力、努力、計画力が生きる上で必要だったからだ。
結局、5教科を卒業してから全て使う人はあまりいないだろうけれど。
どの職業でも、「学ぶこと」は必須になる。
仕事をするには、その仕事を学び、覚えることがいる。
わからないことに向き合って、考える必要がある。
もっと上を目指すならば。学びも、計画性も当たり前に必要になる。
そういったものを、学校での勉強は教えてくれる、、、のではないだろうか。
私はそう思っている。
しかし、これは個人の話。
学校での学習は、それを学習し、理解することがメインになっている。
私はそう思わない。
授業は、学習は。それ自体が目標ではなく、手段でしかない。
そこで『学び合い』は、教科学習それ自体を目標とせず、それを通して人と折り合いをつけながら自分の問題を解決していくというところを目標としている。
自分にとっても。勉強は手段であって、それがわかっていると、人に教えられて、喜んでもらえるから一生懸命に頑張ろうと思えていたし、そこで繋がっていく人間関係が好きだった。
学びは重要だし、楽しいことでもある。
けれど、学んでいる時がメインではなく。学んでどうするか、どうなるかがメインであると考える。
目標と手段は常に意識していくべきだなと感じる。
さて。数学の課題が終わって、残すはテストのみ。
テスト勉強であれば、教採や卒論と並行して行える。
やっと準備完了。遅すぎる。
教員になること。手段は勉強すること。
子供の時と何一つかわらず、ただ実行するだけです。