すごいなと思ったことがありました。
グループで模擬授業の計画を立てているときでした。
今までは、リーダーである自分が頑張るということで、指導案であったり、計画であったりを、ほとんど作成した、、、ような気がします。
もちろん、メンバーの意見を受けて作り変えたり、そのまま授業に取り込んだりなどしましたが、どこにでも自分の意見や手が加わってしまっている状態だったように思えます。
あまり全員の予定が合わないことや、先に自分が嫌なことを終わらせてしまいたいという気持ちから、そういった行動になってしまいがちです。
自分の良くないところだと思います。
下手な信頼感が生まれてしまい、頼り切ることになったり、まぁ何とかしてくれるという雰囲気になることもあります。
口では「いいよ~やるよ~」なんて言いながら、やっぱり大変だな。なんて思うこともあります。
なにより、その人の成長の場を奪ってしまう。
でもやはり自分の都合もあるし。。。
いつもこういったことで葛藤が起きます。
今日の話し合いでも、またいつも通り自分が抱え込んでおしまい。
そうなると思っていました。
しかし、そうではなかった。
ある程度、授業構想の軸が決まったこともあり、みんなが意見を言ったり、自分の役割についてよく考え始めたのです。
最初は私に一度質問していたりしました。
(集団としては、望む形ではありません。本来は、一人が全貌を掌握するのではなく、皆が協力するのが望み。)
しかし、自分と役職が似ている人と話し合い始めたり。
一つの場に集まってやっているのに、必要に応じて勝手にグループが形成され、分かれ、また形成されていく。
その時、私が抱え込んでいた思いがすっと消えていきました。
ああ、本当に望んでいた集団はこういった集団なんだなと。
見ていてわくわくしました。
自分の発言がすんなり通ってしまっていた今までに比べて、何も意見を出さなくても、勝手に作り上げられていく。
その意見の中には自分が考えなかったようなことを考えている人がいて。
そこからのスピードははやかった。
リーダーなどいないように。
でも、恐ろしさもあった。自分に対してです。
集団を制御する。自身の意図したとおりになることを願う。
変化や、学び、成長が好きです。
その反面、今のまま、自分が考えた通りに、予想通りに物事が運べばいい。
邪魔はしてほしくない。
そう思う自分もいることに対して、恐ろしいと思います。
教員になり、それが一斉指導という形になった時、
子どもたちにとってそれは操られているのと同じ。
『学び合い』、所属したゼミで学べていることに本当に感謝したい。
以前の自分のままでは、到底児童が幸せになる、一生涯の幸せを保証することなど
決してできなかったと思います。
ありがとう。