今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

寺子屋

昨日寺子屋TANQにお邪魔させていただき、子どもたちと一緒に活動したり、様々な話を聞くことができました。

概要自体は昨日のブログにまとめた通り。

行ってきて感じたことを少し細かく振り返りたいと思います。

 

授業開始時間自体は通常の学校より一時間ほど遅い感じで、

朝の読書時間があったり、皆で集合してお話ししたり。

時間になったら自分のするべき課題(学校の学習課題やワーク、過去問など様々)をやりつつ。自分の中で調整できたら、次は興味のあることへ。

 

木を彫ったり、スポーツについて調べたり、絵をかいたり。

学習指導要領にとらわれないことによって、子どもたちが学びたいことにフィットする形になっていました。

 

低学年の子が、裁縫して作ったハロウィンのステッキなどもあり、感動しました。

部屋も、子どもたちの頑張り、好みが存分に反映されている様子。

 

私も一日そこで過ごして。子どもたちとたくさん話して、たくさん遊びました。

子どもたちは、見ず知らずの大人にもとてもフレンドリーであり。

今までの活動を通して、多くの人と関わってきたことを感じました。

 

実際、キャンプや映画、旅行などを子どもたちと計画して様々なところに行っているようでした。

 

そういったところで一日過ごして、正直めちゃくちゃ楽しかった。

私よりも物知りな子もいるし、本当に楽しそうに過ごしていたのが印象的。

 

けれど、それが正解であるとも限らないと思っています。本来は、それはすべて学校が担うべきはずのところ。

誰ひとり漏れ落ちることなく、楽しく、学びたいことが学べて。そのうえで将来につながる場。それが学校であるはずだと思います。

 

それがいつからか、抑制、我慢の場になっているように思うのです。

子どもたちは、多くの可能性も、それを叶えるだけのパワーも持ち合わせています。

また、一人で無理なことや苦手なことでも、30人もいればまず誰かがカバーできる。

同じ学年でなければ、他の学年がカバーできる。

そういう大切なかかわりが、薄れてしまっていると思いました。

 

 

子どもたちが帰ってからは、寺子屋TANQのシステムやこれからの教育、経営のお話も多くありました。

正直、頭が追い付かない部分も多かった。

企業と提携した新しい学校作り。

結果的に町おこしや若者が出身地に残り続けることに貢献する未来。

 

「学校」は、「学校」という枠組みの中で完結させるのではなく、地域に広くつながっていく必要や、その可能性について考えました。

 

学校作りは、私が高校の時にやってみたいと感じていたことの一つでもあります。

その時は、とにかく無策無謀で、でもとにかくやってみたいことがあったり、こんなのどうなんだろう?というのがありました。

 

その可能性について、また考えるきっかけにもなりました。

今の自分は、将来的には管理職の立場を目指しながら、子どもも、そして教員も誰も見捨てない学校を作っていきたい、そういう風に思っています。

越後の会でも、とにかく勉強だと教えていただきました。

 

今回は、経済的な、起業関連のお話も。お金も、場所も、人とのつながりも。

リーダーシップとか、本当にいろいろなことが絡んでくる。

それはもう、教員という枠はとうに通り越していて。

けれど、少なくともそういうことを考えている人たちとつながれたこと、

その糸を大切にしながら、自分ももっと視野を広げていく必要があるなと思いました。

今は大切にしたいけれど、その今は将来につながる今であってほしい。

しっかり時間をとれるのは、なんだかんだ一年半あるかないか。

教員になってからは、もっと学ぶことが増える。

今のうちにできることを。

 

ということで、まずは論理武装できるように法律関係も学んでいきたい。

昨日良い本をおすすめしていただき、さっそく借りてきました。

その本もまた紹介したいと思います。

 

あと、今日は西川純教授の著書である『学歴の経済学』を読了。

これもまたまとめたいところです。

やることがまだまだありますが、日付も変わるのでここまでで!