昨日、母親と幼稚園から現在までの思い出を振り返っていました。
幼稚園の記憶はあまりないし、小学校に上がるときには、自分の小学校に同じ幼稚園からいった人は一人もいませんでした。
幼稚園の時は、とんでもない引っ込み思案。
すぐに家に帰りたがる。そんなタイプ。
小学校では、同じ幼稚園からいった人がいなかったため、結局自分から友人関係を気づく必要がありました。
今思い返せば、小学校も、中学校も、高校も、大学も。
初めのクラスは、だいたい友達もいない、全く知らない人ばかりのクラスに配属されることが多かったです。だから、結局一から関係性を気づいていくしかない。
そうしていくことで、結果的に関係性が固定化されず、常に関わる人が流動的に変化していたように思えます。
出会う人は縁である。運もある。
それは、以前のブログにも書きました。
出会う人、関わり続ける人たち、タイミング。すべて運と縁です。
自分が、自分で今の人格になったわけではない。
家族、そしてこれまで関わってきた人によって私の今の人格があるように思えます。
つまり、今までの何かが少しでもずれてしまえば、今の自分というものは存在しないはず。
生まれ変わって、もう一度自分が誕生したとしても、今の自分になることは決してないのだと思いました。
小学校の時に、公園に集まって夜遅くまでサッカーをしたり。ベイブレードしたり。
中学校での経験も。出会った人も。
もう一度は無いのだなと。
そして、これからも同じこと。生きていくということ、そこで出会う人たち、イベント、場面。それにもう一度は基本ないのだなと思えます。
同じ旅行先でも、一緒に行く人、心理状態、そこまでに得ている経験。それが全く同じではないです。
だから、先を見据えて。そのうえで今どう生きるのか、どう過ごすのかを考えながら生きなくてはいけないと思いました。