レールが引かれた人生は面白くない?気に食わない?
だが、実際は楽ではあるのだ。
レールを引く側も、レールを引かれる側も、何もトラブルなく、そのまま進んでいく。
意外に、学校現場でもそうなのかな。
教員が決めたレールに、気づいたときには乗せられている。
学校が決めたルールというレールで、気づいたときには出発している。
確かに、それは学校も、教員も楽だ。実は、それによって縛られているように見える子供も、そこでおとなしくしていれば上手く学校という時間は過ぎていく。
いい評価をもらえて、家でもハッピー?
何か違う気がする。
そもそも、そのレールは誰の物?誰が決めた?
そのレールは、本当にその人のことを思ってひかれた?
もし、そのレールの行く先がそもそも間違えていたら。
今どう過ごすかという一点だけでレールを引き、気づいたときには地獄の道へ。
何がルールで、何が指導、何が教育何だろうか。
レールとは、子どもたちが幸せになっていくためにひかれるものであり、自分で進んでいくものでなければいけないと思う。
常に最適なレールであるか。自分はそのレールをたどれているか。
それは本当に子どもたちに提示してよいレールなのか。
常に考えて、行動していかなければならない。