教えようとするとき、相手にうまく伝わるように、いろいろ頭を回します。
それは、単純に頭から知識を出してきて、口で伝えるだけではない。
相手への配慮、言い方、動作、示し方など様々工夫することができていて、
自分で問題を解くときよりもはるかに難しい。
相手が分かるようにと考えるとき、それは学習の範囲を出て、思いやりだったり、言語能力とか、いろいろなところから能力を持ってきて、上手く組み合わせて使わなければいけない。
時々、教えていてとてつもない快感が生まれるときがある。
教えるとき、脳はフルスピードで回転しているため、時々自分で問題を解くよりも問題についてよく理解することができる。
この前の塾でもそうだった。
高校生に数学を教えるとき。
今まで適当にこなしていた証明の問題や、
意味のない、形式的に必要だと思っていた言葉がなぜ必要なのか、
どうしてこういった問題を解く手順になっているのか、
ストン、、、というより、ズドン!という感覚になって理解したことがあった。
相手に教えるとき、それは、ただ自分が問題に向き合って、考えて、答えを出すことよりもはるかに難しいけれど、
問題に対する理解や、納得感、充実感ははるかに違う。
まして、ただ訳も分からず、こういうものだと教えられることよりも
ずっと違っている。
だから、子どもたちが教え合うことができる時間、相手のために思考錯誤して、伝えていく時間。
『学び合い』の授業は、誰にとっても平等に充実した学習の時間でもあると
しみじみ感じます。