今日もイワシ、はぐれてます。

海のような広い心で。

未知

勉強している時や、授業、講義と言っても、やはり受けていて面白いなと思う講義があります。

 

どれもためになるとは思うのですが、やはり自分の中でこれは面白いなと思って、そのわくわくが持続する授業というのはなかなかありません。

 

どこに基準があるのか、最近ようやく見えてきました。

それが、「未知」であるかどうかのようです。

 

例えば、講義資料や教科書に目を通せば、おそらくある程度何を言いたいのか、授業の山はどこで、教員が伝えたいのがどういった内容なのか把握できると思われます。

でも、たいていはその資料を読んでしまえば完結してしまう授業。

 

学生の時でもそうでしたが、教科書内容をそのまま板書して、話す授業が本当に苦手でした。「書いてあるじゃん」で済まされてしまうため、効率が悪い・他に時間を費やせそうと思ってしまうのでしょう。

 

それに対して、教科書の内容は軽く触れつつ、参考書から引用してきたり、その場で教員が面白い問題を考えて出すような形式の授業は面白く感じました。

これは、どこにも載っていなくて、今学んだ方が効率が良さそうだなと感じたり、それこそ見たことがない問題、内容であるから、興味が湧くのです。

 

講義でもそう。本来学問はもっと奥深いのだと思うのですが、講義で理解すればよいラインというのは、レジュメなどにたいていは書かれています。それに関連した話しや実用的な内容はやはり面白いと感じます。

 

聞くべき内容かどうか、既存の知識に含まれないかを判別して、興味が持てるかどうか変わってきます。

 

小学生の時はもっと顕著だったように思いますが、「未知」・見たことないもの、謎が多いことというのは大好きでした。それはきっと自分だけでなく、多くの人もそうなのではないかなと思います。

 

こういったことが見えてきたので、では未知ではない授業、講義はどう乗り切ればよいのか。

それに関連させていって、自分にとっての未知を探れば非常に面白く有意義な時間になると気づきました。

 

本来、学ぶということはこういうことなのではないでしょうか。