先週の金曜日から、ずっと目がゴロゴロするなぁと感じていました。
日曜日には目が痛くなったり、しみたりして開けられないこともあり、今朝眼科に行ってきました。
アレルギー性結膜炎。つらいなぁ。目が乾いてきたり、ストレスを感じると痛みや違和感が増す。
早く治ってほしいなぁ。。
さて、夜になると、私はよく考える時間が増えます。
お風呂の中で考えたり、お風呂から上がってぼうっとしているときに考えたり。
その中で、自身の抱える悩みについて考えたりすることが良くあります。
今日の悩みは特にひどかった。
だからこんな時間になっているんですね。
自分の感情について考えていました。
私は、人が大変そうにしていたり、悩んでいても共感できない人間ではないのか、と。
大変になるということには理由があって、流れがあって。
運命という言葉で表せるかはわからないけれど、なるべくしてなっている。というように考えているのではないかなと思ってしまったのです。
死に関しても同じ。
本当に冷たい人間のように感じる内容ですが、そうなったらそうなった時と思ってしまいます。人は、その時にそうなる定め?のようなものだからそうなった。
努力や運というのはそうなるまでに行うことであり、そういった要因も踏まえてなるようになった。
そんな風に考えてしまうのではないか。
そう考えると、自分が本当に冷たい人間であり、心のどこかに欠陥があるようにも感じてしまいました。
本当にそうなのか。
当たり前ですが、結論は出ませんでした。そういった側面も持ち合わせているのかも。
けれど、また違った考え方も出てきました。
自分の心が傷つきたくないから、冷酷な自分を創り出して、無理やり感情を落とし込んでいるのではないかと。
簡単に言えば、自分が傷つきたくないから、別の人格の自分を作って、無理に現状を納得しようとする。
そうすれば、悲しい出来事や、人に同情して悲しんだり傷つくことはなくなる。
大切な人の死に直面しても、無理やりそういうものだと自分を納得させる。
すごく自分の中でしっくり来たようにも感じました。
中学校の時にトラウマ?というか、明らかに自分の心が壊れそうになる出来事がありました。
でもその時は平気だったのです。
そこから、考え方も少し変わったように思えます。
その時から少しずつ自分の心を守る自分が生成されてきたのではないか。
そんな風に思えてしまったのです。
どうなるのが正解なのか。何が幸せなのか。
まだよくわからない。