<本日のブログ記事>
昨日は、大谷先生に授業見学のお誘いをいただき、有恒高校に授業見学兼サポート?に行かせていただきました。といっても、授業サポートはほとんど何もできていないので、主に授業見学と先生との対話がメインでしたが。
授業の振り返りや詳しいことは、先生に伝えることができたので、多くは書かないでおこうかなと思っていて。
今回は、授業中に閃いたことと、対話の内容を中心に書こうかなと思います。
授業は、社会科というよりも、総合的な探求の時間の位置付けに近く。地域のことについて知り、それを発展させるための方法を調べ、考え、最後にはスライドを作成して発表する、という活動。
やはり、ミッションを与えること、またそれに必要性をどれだけ持たせることができるか、というのが、教師の環境設定の大事なところだと思っています。
普通の学習でもそうですが、「それをやったから何になるの?」という質問が出てからでは遅い。そして何より、それを実感できるような授業を作るためには、教員自身にその価値が落ちていなければいけない。
『学び合い』で言えば、一つに人と繋がる、同僚であることを学び、自分の課題を人の力を借りて達成する経験を積む、大人になるための学びの場、という価値づけもできるかと思われます。
最近の授業を見る視点として、もちろん『学び合い』的にどうか、自分の願い的にどうか、というのは見ます。当然、自分が再現できるかどうか、というところも。
そして、自分がやるならどうするだろうか、理由はなぜそう思うのか、、、そうやって授業を分解して、考えているように思います。そのときに、『学び合い』的な視点だけでなく、一斉指導型、教員が主に手綱を握っている状態での活動において、どうするか、ということも考えてみたりしています。
一斉指導ができて、損はない。大事な技術である、ということはわかります。そういうところも、今後伸ばしていく必要があるから。何より、子どもたち、保護者、先生方に、しっかり理解していただくためには。
できるけれど、やらない。どちらの方が、価値があるのかを実感できるように、説明できるようにするためには、両方できる必要があるからです。
ま、話してもわからない場合はあるので、深追いはしません。わかる人にだけ、伝われば良い。
そういう視点で見ていると、こんなことやったりしたらどうかな?というのも思いついたり。
授業中にやる気がない姿を見たりすると。この子達の進学、就職先の人たちに見にきてもらって、一緒に話したりしたらどう学びの雰囲気は変わるんだろう?なんて思ったりもする。
けど、避難訓練だったりはしっかりするという話を聞いて。
やっぱり、どこまでも授業、学校、という枠でいるから、それを認識しているからやらない、集中しないのであって。
価値があることには、しっかり取り組むのだなと。
だからこその、ミッションの設定、環境設定。
やっぱり授業を見ていると、262はちゃんと、綺麗な比率で存在しているな、と実感します。
自分が集団にいる時もそうですが、やっぱり262の割合はすごい大事。意識しているだけで、全然違う。
これを意識していると、登壇してお話しする時も、すっごく気が楽になる。聞いている人は、元から聞いているから、噛んだり、伝わりにくかったかなぁと思っても、ちゃんと伝わっている。聞いてない人は、ちゃんと聞いてない。でも気にしない。絶対いるから。真ん中の6割は大事。それをこっちに引っ張るのが、話術かな。
そして対話で考えたこと。やっぱり、信用って大事だ。
今のゼミのお話にもなりました。
これ、ブログで以前書いたかな?少しずつ、ゼミ生もわがままになってきているんじゃないかな?っていうお話。
自分が終われば、良い。一人も見捨てないじゃないじゃない!と思うこともあったりしましたね。
その理由について。
「私の考える理由」は、集団の管理者、西川先生にあると思っています。いや、少し言い方が違います。原因ではないのですが。
西川先生は、最終的には『学び合い』は必要ない、多様で多数の繋がりは必要ない、といっています。自分でも、わがままになっている、って確かブログでも。
でも、それは、西川先生だから、です。家庭があり、守るべき対象があり、生活における資金が確立され、「多様で多数の繋がり」を必要としなくなったからこそ、できるのです。
しかし、集団は管理者の写し鏡。学級でも、担任の先生の様子はよく集団に反映されているなと思います。
ということで、わがまま化している、というところがリンクしている気がする。
でも、それこそ、一番危ないところだと思うのです。
管理者である西川先生は、「基盤」ができているから、それをやってもいい。でも、「基盤がない」我々。これから生きていくのに、生き延びていくのに、多様で多数の繋がりが必要な我々は、そうあってはいけない、と思うのです。
そこを、しっかり認識できているか。
そして、その「基盤」があるか・ないかこそ、『学び合い』を一年目からして、放任と見なされるのかどうかが変わると思います。
そして、この基盤は、家庭や資金。そして、まだ多様で多数の繋がりは必要である。
そして、それは信用が関わってくる、そう思います。
その信用の中には、一斉指導が「本当は」できる、というのも含まれると思います。
西川先生も、どこまでもそうでした。一斉指導ができる。
要は。一斉指導ができる「けれど」意図してやらない、『学び合い』をする方が価値がある、とするのか。
一斉指導ができない「だから」やらない、『学び合い』をする。になるのか。
そういうふうに区切られると、前者の方が、絶対子供達にもストンと落ちると思うのです。
「やれない」からやらないのじゃなく、「やる必要がない」からやらない。
んー言葉で表すのは難しいですが、伝わるかな。
信用、という点では、まだいろんなことがあります。それこそ「学び続ける」ということも。学ことをやめれば、傲慢になる、満足する。すると、自分の集団、管理者としての自分を俯瞰して捉えなくなってしまう。
だから、「学び続ける」
本で書いてあることは、確かに先生のやっていることだし、実践者で『学び合い』をされている方も、その通りだと思うのですが。
本が全てじゃない、というか、、、本に載ってることは、全てできた上で、書かれてないけど、大事なポイントは結構あって、それが実践されている方や西川先生に共通であるもので、時々ブログやSNSで表面に出てきたり、気づいて言語化しあったり、が生まれるタイミングがある、的なイメージで捉えています。
ま、どれも自分の感覚なのでアレですし、自分もあまり実践という点ではやったことがない。なので、大的外れな可能性もありますが。
でも、考えたことは大事にしたい。
やっぱり、「見学」だけじゃなくて、「対話」がセットじゃないとね。「対話」こそメイン、みたいな感じになってもいますが笑
大谷先生、ありがとうございました!