今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

教員が作りだす流れについて

個人の名前を出して、クラスで子どもを褒めること・叱ることというのは、想像以上に影響が大きいと思っている。

褒めることも、叱ることも、大切だと思う。
けれど、個人の名前を出して、それが連続して行われていくと、子供達にもそういう空気感が生まれる時がある、と思っている。

〇〇はいつも褒められる。
△△はいつも叱られる。

そうやって、知らないうちに教員自身が作り出したものが、学級内での評価となっているかもしれない。

褒められる、というのは嬉しいことだけれども。
その時に自分も同じことをしていたけれど、褒められなかった時の感情は、こちらが勝手に判断できるほど小さいものではないと思うし。

いつも注意している児童がいたとすれば、知らないうちに周りの子供たちも、自分たちも強く注意していいのだ、と思ってしまうかもしれない。

良くも悪くも、集団の2割の力は強く、教員の方針をよく汲み取ってくる。

叱ること・褒めることに教員側の他意が存在していれば、敏感に察知し、そのように行動する。

当然、良いことに敏感になるのと同時に、悪いことにも敏感になってしまう。

それを変えるのは、難しいこと。

だから、こちらもしっかりとした理論と軸を持って伝えねばならないと思うし、そこにはしっかり願いがあるべきだと思う。

最近、QUのアンケートから見えてきたこともあり、積極的に褒めるベースの学級経営を意識している、と自分では思っている。

どうしてもいけないことは注意するが、どちらかというとみんなにどうか考えてもらう機会が多い。

褒めた方が、実際注意されたよりもはるかに集団全体の動きは良くなる。
個に注目してもそう。

あとは意識するべきは、1日で褒められた総数を大体同じにすること。
これは実際本当に難しい。
だから、1週間くらいで調整しているつもりだけれども、なかなか。

でも、そうやってやって行った方が、お互い気持ちよく過ごせることはもうわかっている。

私の話になるけれど、直すべき点や注意する点はびっくりするくらい早く見つけてしまう。

だけれども、褒める点や成長を感じる点は、自分が能動的に探さないと多くは見つけられない。

びっくりするくらい、素晴らしいところが出てくる時ももちろんあるけれど。

その『褒める』『成長を感じる』ためのアンテナを、こちらは常にたてておく必要がある。

これは、意外と意識していないと難しい、と思ってしまう。

だから、こちらに余裕も必要だし、機嫌もよくある必要がある。

けれど、これらが意識できている時ほど。

学級の姿自体も、非常に穏やかで、楽しげで、素敵な姿が多く見えてくるもの。

そういう余裕を、自分に。常に。