今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

2026/5/17 安曇野『学び合い』の会

本日は、朝から安曇野『学び合い』の会に参加させていただきました。
テーマは、「教員一年目のリアル〜学校の先生になって感じたこと〜」で、この春から中学校に着任された新任の先生からお話をお聞きしました。

参加者の方々も多様で、教員だけでなく地域の方々や大学生など幅広い層が参加されていました。

私としても、二年目になったので昨年度を思い出しながら参加しよう、という気持ちでワクワク。
思い出すだけでなく、今の教育の「リアル」を再確認することができ、今後の方針や社会の形についても考えることができました。

以降、とりあえず感じたこと考えたことをざっくり振り返っていきます。

まずお話が始まって気づいたのは、「notebook LM」を活用したスライドだ!ということ。
AI活用の話も、今回のテーマとして上がっていましたが、やはり便利。
県によっては、AI活用を推進する動きもあり、それが良いよなぁ、と感じつつ、我が県にはそういう流れはあるのか?と。
ガイドライン等を今度調べてみようと思う。

教員になろうと思った原点と、そこからの軌跡についてお話しされていて。
人の原点、というのは実際どれも輝いているもののように思う。

また、原点から、一直線に職業・夢へ、というのはなかなか難しいものだし。
一直線でなく、回り道をする分だけ厚みが出ると思っている。

話の中で色々キーになる言葉が出てきたと思うのだけれど、まず一つ目は「教育は教室の中だけではない」という言葉。
 
これは、大学の時そして学校現場に入ってから強く感じる。
教育は、教室で完結するものではなく。また学校内で完結するものでもない。

地域、大学、フリースクール等、本当に色々な繋がりが、本来はあるはず。
そのリソースを使えるかどうか、教育を支えるという点についてともに考えていけるかどうかが大切だと思う。

次に印象的だった話題として、教員同士のチーム意識がある。
中学校ということで、教科担任制でもあるため、一つのクラスにつきたくさんの目があり、その先生方と共有の話題ができることにもなる。
クラスを中心として、会話など教職員もチームとしての意識が高まる。

逆に小学校の現場において、特に単学級の学級担任制に関しては、確かに自分一人で自由に回せる面は大きいが、他の先生方と連携、となると入教などがなければなかなか起こり得ない。

今の学校では、前担任との会話や全校で集まった時などの話題が主だが、もっと子供達の姿を話題として話せる時間が増えても良いのだと思う。

話題提供してくださった先生は、今年度からの勤務において、おそらく仕事とプライベートをしっかり分けて捉えられている方だな、というのが率直な感想であった。
自分ルールとして、持ち帰りの仕事はしない、休日出勤しない、というのは非常に納得できるものだった。

逆に、休日にやるからこそ平日の余裕ができる、という意見にも納得はできる。

私自身も、最近はある程度遅くても18時までには学校を出ることや、休日の出勤はしない、ということを決めている。

しかし、家で仕事は意外としている。
平日は、翌日の授業をさらっと考えたり、その日の子供達の様子をもう一度捉え直して、授業を週末に考えていたものから変更することもある。

また、休日などもそういう時間を取るのがルーティンとなっている。
それは平日の余裕も増えるし、授業自体も楽しくできる。
正直授業前に教科書を見てやってもいいが、不測の事態は起きがち。
また、生活科など長期のスパンを見て行うものがあるため、それらはじっくり考えられる場所・時間が必要というのもあって家でやる。

そういう点で、自分と他の先生の業務の捉え方について知れたのは面白かった。

ただ、共通していることは。「子供達の前でいい表情でいられるかどうか」という視点だと思う。

これは結局、余裕とか、余白とか、そういうものだと思うのだ。

今日の会の大きな柱とも言えるのが、この「余白」についてだったと思う。

また、この余白がなければ、持続可能ではない、というのが大切な部分。

余白…最近ないかな?、特に日中は、と思ってしまった。
朝職員室をでれば、次に戻るのは放課後。
つまり、基本学級にいるわけなので、他の先生方とゆったり話す時間も減っている。

一日中授業に出ていれば、そこに余白は生まれない。『学び合い』をしていたとしても、評価者の意識を持っているとあまり…

結局、集団が全体的に満たされている状態というのは、
「余白」「チーム意識」「システム」が揃っているのが重要ではないか、というのが話を聞いていて思ったことだった。

余白というのは、まさに上記しているような時間的なものから、精神的なものもある。
そして、それらをうむのはシステムやチームとして有機的な集団になっているかどうか。

だが、それぞれの要因はなかなか難しいなぁ、と思ったり。
チーム意識に関しては、やはり集団を動かす2割の思考や動き、またそれらのトップである管理職の思考なども大切になる。
また、システムも。
これまでのシステムで上手くいかなくなってきたとしても、より上手くいかなくなることを心配し、改革の一手を打てないまま前年度踏襲が多い。

当然そうすれば、余白も生まれてこないのだ。

自分が2割になっていたとして、どのような動き方ができるだろうか。
また、システム構築にどのように関われるのだろうか。

話題の中には、見えていなかった教員の業務についても話題に。
これこそリアルだなぁと思ったのだが。
教員になる前は、主要どころは授業作りや保護者対応くらいだと思っていたけれど。

蓋を開ければ、そうではない業務によって忙しくなることがほとんど。
そこに主要どころがのってくる感じ。

どこまで削減できるか、という話になった。

正直、いらないと言ったら多くはいらないのかも知れないけれど。
それらが必要になった背景を考えると、確かに一概に必要ないとも言えない。

結局、何か起こったときの責任が伴うからこそ、色々と作るものがある、とも言える。

負担を軽くするにはどうするべきだろうか。
以前も少しブログでも書いたけれど、やはり子どもたちと地域の方々を教育に参画させていくことしかないと思う。

コミュニティスクールなどもそうだが、普通に学校行事などもそう。
子どもたちに任せる、共に作るエリアを増やしていく。
また、地域のリソースがどれだけあるかを知り、また声を出してもらいながら。学校側もどんどん声を上げていく。

そうやって協力できる部分、参画できる部分をどんどん作らなければ。
教員の数、子供の数も減ってきて、小規模校における担任一人が持つ校務分掌の量もバカにならない。

本当に大切な部分がどこか見失わないためにも。
何より、教育は先生が行うだけではない、という部分に立ち返って、みんなでやっていくべきだと思う。

そのためには、学校側は「できない」「助けてほしい」というある種の弱さを出す必要があるわけだけれども。

これこそ、『学び合い』の考え方であると思う。
わからないを共有し、言いやすい環境ができて。
そして、他者の力を借りて、自分の課題を達成する。
他者とは、子供達や保護者、地域。自分とは、学校自体だ。

そうするとき。というか、そうしなければ維持できない時が近づいてきていると思う。

フリートークでは、小規模校と大規模校の地域との関わり方の違いについても話題に上がった。

小規模校の方が〜とか、大規模校の方が〜とかは、正直あまり関係ないと思っている。

結局、地域と関わると言っても、学校の周りにそういったリソースがどれだけあるか、また学校として関わってきた歴史がどれだけあるかが大切なように思う。

毎年やってきたことだから〜となることも、教員としては結構ありがたいものだ。

1からリソースを探すのは、非常に難しい。

当然、大規模になるということは学区が広いか、人が多く住んでいるということでもあるので、人的リソースは多いと思う。その違いかな。

学校内の相談体制についても話題が出た。
AIを使った相談体制や、教科担任制などいろんな先生と関われるからこそ、相談相手を選ぶことができる、逆に迷ってしまうなどの特徴も。

話を聞いていて、色々思ったことはある。
実際、休み時間などに他クラスの生徒がふらっときて、軽く相談というか、自分のことについて話して帰っていく、ということは往々にしてある。

それくらいのフラットな感じから、がっつりしたものもある。

AIを使った相談体制というのは面白いな、と思う反面。
自分の思っていない部分まで言語化され、知らないうちに思考がすり替わってしまう、という危険性があるのもわかる。

また、そもそも多くの生成AIは、年齢制限として13歳以上としている。
小学生が扱うツールとしては、難しいのかも知れない。

担任との信頼関係、また、そもそもそう言ったことが起こらないための学級経営、と言ってしまったら簡単だけれども。

実際相談したいという子供達がいるのも実態だと思う。

AIだからこそできることがある、話せることがあると思う。
逆も然り、人だからできることもある。

いまだに、その辺りのAIと人との難しさは感じるところ。

逆に、保護者対応などはAIの方がいいのか?みたいなことも考えた。
AIというより、公式LINEのチャットのような。
それでいて、教員側からは自由に閲覧できるような、そんな感じ。
直接のやり取りは避けることができ、AIなどが対応してくれるが。
相談内容や雰囲気は、すべて教員が見ることができる、必要に応じて通話等も可能、みたいな。

それがあると、結構嬉しいかも知れない。

今回の会では、教育学部の学生さんも参加されていて。
私としては、本当に新鮮な気持ちだった。
というのも、大学時代に、いろいろな『学び合い』の会などにお邪魔したけれど、基本的に最年少で話題に混ぜてもらうことが多かった。
また、その恩恵をすごくいただいてたけれども。

後輩、というか年下の学生の方々がそういう場に来て、それを楽しいと言っているのを見ると、心が温かくなる。

学生の子達と話していて。
教員を目指す原点についての話があった。
今回話題提供をいただいた方の原点についても話があった。

自分の原点、は色々あると思う。
よく言うのは暗殺教室とか言うけれど。
実際それだけではない。
小学校の総合の時間の経験や、人との関係、人前に立つ、話す経験。
中学校での学習における経験、挫折などもある。職場体験も。
色々が混ざって、教員になりたいと思った。

そもそも、学校が楽しい場所である、と感じる反面。
学校なんぞ、くそくらえだ!と思う気持ちもあった。

色々あるからこそ、どの側面からも捉え、考えることができるのだと思う。

また、自分だけでなく、公立学校の子供達、フリースクールの子どもたちなど、色々関わって、見てきた、話したからこそわかることもある。

自分の、これまでの経験がすべて自分を作っていて。
より新しい教員像、学校像を作っているのだと思う。

すでに長いけれどもう少し。
話題提供してくださった先生からの問い。
・なんのために教育に関わるのか
・土日の過ごし方
・教育を通してどのような自分になりたい?

このうち2つは、ありがたいことに大学を卒業するまでにみつけさせてもらうことができていた。本当に多くの人から学んだことであり、感謝であるが。

・なんのために教育に関わるのか。
これは誰一人見捨てない、繋がりのある社会・幸せな社会にしたいから。
じゃあなぜそれを目指す?
そっちの方が、楽しいし、面白い、幸せだ。
結局、自分一人でこれらは真に実現できないし、周り、社会全体がそうなっていくことによって、自分自身もそう思うことができると思う。
自分のためであり、人のためでもある。結局自分のためかも。

子供達が〜とか崇高なことは掲げられないのです。。
結局、子どもたちが社会を作っていって、そこにわたしたちもいるわけなので。
みんなで作っていくしかない。

・土日の過ごし方
まさに今日みたいな感じ、といえたらいいけれども。
それだけじゃなくて、読書することもゴロゴロすることも、いろんな趣味を見つけて、やってみることもある。

・教育を通してどのような自分になりたい?
単純にいえば、幸せになりたい、と言うか、その状態を継続したいのだと思う。
そのためには。
教員として動く自分と、社会人として動く自分がいて。
それらが充実しているのが、一番良い。
結局両方とも、教育がベースにあるからこそ、それらを通して幸せな自分を継続していくこと。

だと思ったり。
良い問いだなぁ、と感じる。

今日は、一年目のリアルとして、学校現場の実態を軸に、話が展開していったと思う。
私自身、二年目になったんだなぁ、と思う場面が色々あって。
教員として意見を求められた時なんかは、本当にそう思った。

次回は、7月。
なんと、話題提供!私!
二年目のリアル…

学級経営のことや授業のことなど教員としての業務面を聞きたい学生の方もいたので。
そのあたりの需要を満たしつつ、いくつか問いが生まれるような、そんな話題提供になったらいいなぁ、と思います。
とりあえず、7月までは生き残らなければ!