今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

蓋になるべきではない。

来週以降、学校では運動会に向けての動きが大きくなる。
今回は片方の団について指導する側に回ることになるが。
初めてということもあるし、『学び合い』的にはどう教員としてあるべきか、というところも考えている。

行事の体制を考えると、もっとできることがあるのではないかと思う反面、例年通りから抜け出せない理由もなんとなくわかるようになってきている。

本当に、余裕がないのだと思う。

自クラス、そして自分の分掌。
その対応で精一杯か、もしくは定時内で終わるものではない、のかもしれない。

そこに、新しくこうしよう!という意欲や計画があっても、実行できるかといえば難しくなる。

だから、結局例年通りか、むしろ規模を縮小する、なんていう発想になっていくのかもしれない。

色々なアイデアがあって、子供たちの力も借りてこうしたい!と思うことはあっても。

当然それは自分一人では難しい。

例え主任クラスになって、計画等を出せる立場になったとしても、結局どこかで他の先生方に負担が回っていくのだと思うと、踏み出せないのかもしれない。

本当は子供達と作り上げていくことや時間・予算も目一杯確保したい。
でも、そう上手くは運べないのだろう。

何も運動会だけの話ではなく。
行事や、日常に起こりうること数多あるけれども、学校を変えたり、子供たちがぐんと成長するきっかけの芽は、至る所にあると思っている。

けれど、それを見つけ、みんなで育てる意識や、その余裕がなければそれらは素通りされていくだけになる。

例え一人が声を出したとしても、それはあなたのクラスが順調だから、という一言で片付けられては意味がない。

だから、今は自分のクラスと向き合いながら、実績を積むしかないのだとも思うが。

1年と一ヶ月を通して思うこと。
教員が、子供たちの上限に蓋をしてはいけない、と。

時間・予算・そしてこちら側の覚悟と思想。
それらがあれば、大抵今までにやったことがないようなことを、子供たちは発想してやっていくと思う。

なんなら、時間や予算がなくても、ある程度の規模ならやるのだと思う。
それを繰り返していけば、時間も条件には必要なくなる。毎日がそうなっていく。

自分は、彼らの成長や学び、やってみたいの『蓋』になっていないだろうか。