今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

自己問答の重要性

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『学び合い』の会とは別に、夜などに定期的に開かれる相談会があります。
悩みを持った人が、声を掛け合って話し合う。

ここ最近もそう言うことが結構あります。

私個人としては、誰かの相談に乗ったり、悩みを聞くこと自体が自分の思考を整理して、理解を深めたり、明日の実践に繋がったりすることが多いので、基本的に参加します。

どんな相談があったとしても、基本的に言えることがあるなぁと。
それは、自分の軸や願いを言語化できているかどうかです。

自分の授業を作る軸、子供達への願い、学校とは、教師とは何かという捉え方。

そこを、数秒程度で言語化し、話せる状態になっていることは大切だなと。
これはやっぱり、普段の行動、指導、語り、授業など、全般に勝手に現れてくるものでもあります。

その言語化を、できれば教員になるまでに。
もしくは、一年の学級開きまでにできていると、途中からどうこうせずに済むのかもしれない、なんてことを考える時も。

でも、これからの長い人生において、教員をやり続けるのであればそう言った部分の言語化はきっと大切だと思うのです。

そして、それを言語化するには結局自己問答。他者問答もありますが。

本を読み、自分で考え、人と話す。

ゼミで習っていたことですが、まさにそれ。
私的には、「本を読み」の部分は、もっと広くても良い。
「本を読んだり、何かを経験したりして」と言い換えてもいい気がする。

そうやって、自分が触れてきたものから考え、それを自分で、もしくは他者と共有しながら磨いていく。

ゼミでの時間は、私にとってまさにこれらの連続だったような気がします。
遠い『学び合い』の会や授業見学にいけば、そこで考え、夜の会や帰りの車で一緒に行った方と話をしながら、こういうことだよな?って磨いていく。

何より、ただ授業を見ただけでなく、フリースクールなど学校外も見たからこそ、自分の願いや軸はよりシンプルに、万に通じるようなものになってきた気がします。

当然、まだまだ改良中であり、現場に出てからもより自分的には的確だと思う言語化になったりしていますが、それでいい。

とにかく、問答しながら「こういうもの、かもしれない」と考えていくのが大切かと。