今日もいわし、はぐれてます。

海のように広い心で。

24歳の一年について考える。

誕生日から1日。
昨日はあまり良い感じではなかったですが。

まぁ、色々あったわけですが、忙殺されていたわけです。

校務分掌を持つ、ということがこういうことか…と納得するだけでいいのか?というのも。

学校そのもののシステム…の難しさというか。

時々、自分の方位磁針というか、方針というか、軸というのが正確かどうか、というのを不安に感じることがあります。

正直、自分の考え方、特に大学を卒業して持っていった思考や軸は、学校現場という場所で、何度もぶつかる、違和感が多いものでした。

違和感やずれを感じるたびに、自分はおそらく少しずつそのずれや違和感を修正しようとしていっている。

良くも悪くも、順応していっている。

自分の目標は変わっていない。
でも、そのための手段やそこに至るための思考が、少しずつ変わってしまっていっているのではないか。

そもそも、自分は『教師』という仕事をどう捉えているのか。
お金を稼ぐ職業として捉えているのか。
人生を全てかけて楽しみながらのめり込むものなのか。

自分は、『授業』や、『学校』を、どう捉えているのか。

いつの間にか、教師のための『授業』や『学校』、『研究』、ひいては『仕事』になっているのではないか。

考えれば考えるほど、いろいろな事を不安に思ってしまう。

話す語りや学習方法、学習内容や休み時間、給食、掃除。

ありとあらゆる学校現場で行われている、『教育活動』全般に対して、いろいろな事を思う。

そうすればそうするほど、ズレを感じ、ズレを補おう、それを当たり前にしようとする思考が働く。

でも、そこで感じる『ズレ』こそが大切な気がするのに。

その『ズレ』について考える時間が、減っていく。

それが自分にとって、危険信号な気がするのだ。

多分、自分が今一番悩んでいるのは。
自分の思考(一条校的ではない思考・非工業化社会的な思考)と、実際の学校現場とのズレ。
そして、そのズレに対して、どこまで歩み寄るべきなのか、ということ。

自分の中で、そのズレを大切に一年過ごしたいと思う。

ま、ズレっぱなしで尖るのも良い。

一番まずいのは、そんな感じで悩みながら学級に入ること。

だから、今とりあえず感じているズレにまずしっかり向き合って。

ある程度自分なりの答えを出してから臨みたい。

とりあえず、「好きなようにやっていい」らしいので、そのままの意味でやっていきたい。